『キミがいる世界』




13




窓もない、白い壁だけに覆われた部屋の中。
人工的な青白い照明だけが僅かな明かりとなり、そのせいか適度な空調の保たれた部屋が寒々しく感じられた。
ただ一つ、簡素に置かれたベットにすら横になる気がなれず、自分の心を閉ざし冷やすように冷たい床に腰を下ろし、背中は壁に預けたまま。

「…………」

静かで、静か過ぎて。
静かな音が心にうるさい―――

有心会との交渉は進んでいた。後は最終確認として「対価」を、ちゃんと彼らの目で確認させるだけのことだった。
自分と連絡は取れなくても、事は進む―――
少しは危機感を持ち、医学や人工蘇生への研究を進める筈だった鷹斗は、その危機感を今は覚えている。

本当ならば、前日にでもセキュリティホールを見つけさせるところだったのだが、今自分がここに居ることだけが想定外で。
鷹斗の危機感の対象が自分に指定されたことで、夢架けたと思われた橋が崩落してしまった。

「………………」

有心会が仕掛けてきても、政府は倒れない。
3日後に、と自分が告げたことに、きっとキングである鷹斗ならばその意図を勘付いた筈だった。
政府が解体されては困る、と……思っているらしい自分は、まだ夢が終わったことが信じられないのだろう。

ここに残っていても、もう自分の居場所はとうになく。
夢も潰え、何の為に生きるのか―――……
彼女を傷つける者として厳重に監視され、身動きが出来ずに。それならば―――


「………I…do not need……the world……if……――――」


考えがまとまったように思えたのに、区切りをつけられず、何度も口ずさんだ詩が口をついて出る。
どうにでもなれと、心から思っているつもりなのに――それは事実ではないのか、脳裏に浮かぶ像がずっと名前を呼んで――

「……you are not …………there………」


杞憂しすぎだと思っていたことが、事実であり、自分の認識と事実とのずれが今の現状――

受け止めるには、あまりにも――――


「…………」


体がずるずると力なく、堕ちていく

どうにかしていたつもりで、どうにも出来ていなかった事に蓋をして、ただ今は有限のある時間をこうして無駄にすることだけが、たった一つの―――




「…………レイン―――」



……ああ、こんな時に……ボクはまた、キミの夢を―――――






***






「それじゃあ、もうほとんど決定済みだっていうの?」
「おー」

1日が経って、ようやくカエルの説明がレインの言っていた『3日後』について、になった。
それまでは順序を追って、レインのことを聞いていたのだが――

3日後、つまりはもう2日後に有心会がテロを決行するという事を今、聞かされ、撫子は迷いのない軽い返事の「おー」にムッとし、カエルのコック帽を軽くひしゃげた。

「テメー何しやがる!!ソレ大事なモン――」
「じゃあ、私は有心会の人達と何をする予定だったのよ」
「オマエは、レインが向こうに払う対価だったからな……最終確認ってところだろ」
「……そう……」

テロが起こることはもう決まっていて。
それが2日後で。
レインが捕まろうとも、決行は変わらない―――

「その隙に出るってことだろー……アイツそのまま捕まったままでいる気じゃねぇみたいだな」
「……でも……」
「…元々、向こうが考えていた予定にレインのヤツが首突っ込んだんだぜ?」

撫子の言葉を先読みしてか、カエルが口を挟む。

「向こうのヤツらだってバカじゃねえよ、レインと連絡が取れない分、慎重にはなるだろーよ」
「……鷹斗も、レインの言葉でセキュリティの強化に努めるってわけね…………」

それならば、負傷者もそんなには出ないのだろうか―――
この世界での紛争は聞くことはあっても、それを目にした事は少なく。
どうしてもいろんなことが気にはかかってしまうのだが―――

「CLOCKZERO内のセキュリティの強化、だけではありませんよ。あなたのセキュリティの強化が第一、らしいです」
「「・・・・・・・・・・・・・」」

いつの間に入ってきていたのだろう。
いつもはもう少し気を遣って入って来ると思うのだが、今日に限ってはそれを一切感じさせないビショップが、顔色変えずに含んだ笑顔を見せる。

「というわけで、移動です。この部屋のセキュリティだと不安なようで、なので、最上階まで来てもらいますか」
「最上階って……鷹斗の部屋!?」
「まあ、本人はそうしたいみたいですけど。それは嫌なら断ればいいでしょ。一つしか部屋がないわけじゃあないですし……せいぜい隣の部屋、とかじゃないですか」
「そ、そう…………ねえ、円……」

同じ部屋ではなくとも、それだけ鷹斗と近い部屋ならば、そして今の鷹斗ならば。
今以上に自由がなくなるのではないか―――
そんな不安を胸に抱きつつ、撫子が聞きたい事は一つだった。

「レイン……大丈夫なの?」
「…………大丈夫ですよ、まだ、ね」

付け足された言葉を強調され、不安を誇張されつつも、撫子は無理なお願いを口にした。

「鷹斗のところに行く前に、レインに会いたいのだけど……」
「無理です。さ、支度してください。ぼくも忙しいので、手早くお願いしますよ」
「レインに、会いたいの」
「……ぼくが支度してしまいますよ。口じゃなく、手を動かして…「レインに会わせて」
「前はそのカエルさんと二人になりたい。今はレインさん、ですか。会って、どうするんです。どうにもならないでしょう」

強情に言い続ける撫子に、円が呆れたように答えた。

上で待っているであろうキングが、それがテロよりも危惧していることなのだと、わかっているのだろうか、この人は――と疑心や嫉妬に巻き込まれる自分の身を不憫に思う。

「だって、いろんな事を突きつけられたばかりなのよ……でも、レインとはまだちゃんと話せていないわ………」
「話すことが、あるんですか?あの事実だけで十分でしょう?」
「どんな理由があれば、会わせてくれるっていうの?……会いたいからよ。それじゃダメなの?」
「…………」

単純な理由だからこそ、気持ちの強さが出る。
会いたいから、その気持ちは円にとってわからないものではなかった。

それに、キングに従う身ではあれど、撫子の願いを、こんな願いくらいは……と思う罪悪感がある―――

「…………これでお願いは2回目ですよ、全く。……長い時間は無理です。遅くなればキングが怪しんで、ぼくの位置を探ろうとするでしょうし」
「……っええ!!」

ありがとう円、と素直に頭を下げた撫子に、円は皮肉っぽい笑いを浮かべた。

「あの人の事になると、気味が悪いくらい素直なんですね」
「どういう意味よ!」
「まーまー言ってみるモンだよなー……オレ、時々オマエのこと、すげぇって見直してんだぞ。当然!今もなー!」
「ぼくも、そう思います。……あのレインさんが手こずるわけですね。じゃあ行きますよ、無駄口叩かず静かに付いて来てください。……特にそこのカエルさん」
「オレかよっ!?」

廊下に出たことで、撫子は本当に空気が変わったのを瞬時に感じ取った。
ルークが捕まったことで、そしてテロが発生するかもしれないとピリピリした雰囲気がビッシリと張り巡らされているかのようだった。

エレベーターを下りて、下りて……各部屋ごとに監視をしているのか、モニターが縦横に並べられた管理室のところで、円が一人で行くように促す。

「あなた一人で会わせるっていうのは、色々問題があるんです。こっちはぼくに任せて、話でも何でもしてきてください。ただし、手短に頼みますよ」
「……ありがとう、円」

認証キーのカードなのか、手渡されて背中を押される。
押されたままに、背中越しに御礼を伝えると、押した手が乱暴に優しく、もう一押ししてくれた。

誰も居ない静かな間接照明だけの廊下に、静かにしようとしても小さな足音が立つ。
そんな中、レインの居室はすぐにわかった。
彼の特徴でもある髪が目印にもなって。
ベッドではなく、床にほぼ背中をつけて、首だけを起こしている歪な格好で。

……眠って、いるの?動かないけれど………

だらん、と伸びきった手足が、やけに目に入って―――

キーカードを使いドアを開けるも、レインはこちらに気付いてもいないのか、ピクリとも動かない。
こうして、寝顔を見るのは2度目だった。
上下する胸に、ふぅっと小さく安堵の息を漏らした。

「今日は、寝言を言わないの……レイン―――」

しゃがみこんで、そっと覗き込む。
こんな時なのに、寝顔に見入っていると自分の気持ちがはっきりとわかる。
以前より、強く―――

ぴくっとレインの瞼が動く。

ゆっくりと、今起きたとは思えないくらいすーっと開いた瞼。
覗いた瞳が撫子をしっかりと捉えたのに、何故かレインは驚きもせずじっと撫子を見つめていた。

「……なんですー?……撫子くん――」

柔らかい呼びかけに、目が熱くなってくる。
レインの過去は、もうどうにも出来ない、変わらない。だけど……

この人の未来は変えられる―――



変えたい――――



ぼんやり撫子を見上げていたレインの目が、次第に涙でいっぱいになっていく撫子の目に、徐々に現の色を取り戻していく。

「え……――?」
「寝ぼけてんじゃねーぞ、レイン」

カエルが堪えきれずにレインにツッコんだ。

「……っ寝ぼけたくも、なりますよー。だってここ、牢内ですよー?」

慌てて跳ね起きようにも、力が入らない。
このまま脱力しきったっていい――と言い聞かせていた体は馬鹿正直に、すぐに反応をしてくれなくて。
涙をさっと拭った撫子がその手で、ゆっくりと起こそうとしてくれる。

「……何しに来たんです?」

その手をやんわりとのけると、レインは拒絶するように肘を立てた。
背中を壁伝いに起こしながら撫子と距離を取る。

「会いに、来たのよ……」
「ここは牢です。あなたが来るような場所じゃないと思いますけど」

別人のように、境界線を敷かれる。
先ほどの呼びかけが、本当に夢のように―――

「円に連れて来てもらったのよ。会いに、来たの」
「……なら、もう十分ですよね?帰ってください」

たまらずカエルが声を荒げ、叫んだ。

「レイン……っオマエなあ「いいの!」
「…………」
「だってよー、コイツの態度、あんまりだろー!?」
「いいのよ、だって……」

カエルの責めの言葉を遮った撫子は、何故か嬉しそうに顔を綻ばした。

「境界線を急に引かなきゃいけないほど、放っておくと私がレインの中に入り込んでしまうから、なのよ。きっと」

必死に追い出そうと、しているのよね。と、先ほどまで涙目だった撫子は強気に微笑み返す。
そこには、「変わらない」と言い切った凛とした強さを滲ませていた。

「……なんです、それ……」
「ハハハッ!!そのとーりじゃねえか!!」

まだ、自分を拒んだままの声は続くけれど、それでも気にしない。
一緒にいる、と、もう決めたから―――

「本当は、一緒に連れ出してあげたいのだけど……今だと円に迷惑がかかるから――」
「ボクの言うこと、本っ気で覚えていないですよね。というか、聞く耳持ってないですよねー?」
「そういう、ひねくれた言い方してる時は聞いてあげるわよ」

もう、そろそろ出ないといけないのかもしれない。
けれど、まだ何も伝えていない。
そんな葛藤を持ちながら、レインの傍に座り続ける撫子に「じゃあ、今から言うことを聞いてくださいねー?」と、今までのようなひねくれた声がかけられる。

「……何?」
「ボクにとって、あなたが特別だと思いたいらしいですけどー、それは、否定しません」
「え……」

急に告げられた言葉に、このタイミングで、普通ならば淡い期待を覚えるところなのだろうが。
告げた言葉と共に添えられたレインの微笑みに、続く言葉が良くないものだというのが悲しいくらいに理解出来る。

ボクも、あなたが大事なんです。撫子くん――……でもそれは、あなたは、鷹斗くんにとって、大切な人だからです」
「鷹斗くんの大切な人が、撫子くんじゃなかったら……ボクにとっての大事な人はあなたじゃない――」
「ボクはあなたじゃなきゃいけない理由は、ただ一つなんです。わかりますよね?そこにボクの感情は存在しない――――」


「キミが誰でも、よかったという事なんです―――」


甘い言葉なんて、全く期待していなかった。
それなのに、心を抉られるように、思う

「鷹斗くんも、言っていたでしょー?ボクはあなたを傷つける。それは『まだ』、言える事なんですよー」
「…………」
「こうなった今でも、あなたに何かがあれば、鷹斗くんだってまた研究に手をつけるかもしれない――……そう簡単に、切り離せるものじゃないんです。その必要性もボクは感じていませんしー……」
「私に何かあればって……レインが私を傷つけるの?それとも、また……キッカケを作るの?」
「……え―――?」

レインの言葉に傷付かないわけはない。
だけど、こんな事で立ち止まっていては、この人の傍にはいられない。

そう、でしょう?とばかりに撫子は手にはめたカエルをじっと見た。
カエルは撫子の視線には無言だった。
けれど、はめた左手にじんわりと温かさが伝わった気がする―――






カエルをレインに戻す


カエルはそのまま、レインを見つめる