キミのいる世界




最終話

『キミのいる世界』






カエルが信じて、任せてくれているのだと思うと、心を一つ強く持てた気がしてくる。

「……また、鷹斗を促すために私を傷つける?有心会のテロもあるし、そうなったっておかしくないわね」
「…………」
「でも、そうならないわ。鷹斗だって、もう繰り返したりはしない――それは、あなたが一番わかっているのではないの?だから、私はもう傷付いたりしないわ」

レインが根負けして、勝手にしてくださいと言うまで。
レインがどんな断りを言っても聞かないつもりでいた。
だってそうでもしないと、この人は闇に向かって行ってしまう―――

「……カエルくんに、聞いたのよ?あなたがしてきた事、昔にした事。運が運を呼んで…偶然に起こった必然の事故」
「…………」
「あなたがもし、また……私を傷つけようとしても、あなたが直接手を下さないのなら、私は傷つかないわ。こうして……ここにいるのが奇跡だって、あなたが言ったのよ、レイン」

奇跡なんて――と思っているのに、何度も言っていた。
私を見て、喜んでいた―――理由が、どうあれ………

「あなたと出会ったことで、今私がここにいるのよ?私以外に、誰があなたの傍にいるっていうの―――」

歪んだ黒い螺旋を描く運命でも―――
それすらもあなたと繋がるものならば、切り離したりはしない―――

「…キミは、根本的なことを考え違えています。ボクは……別にもう、どうでもいいんです。夢もなくなって……この先、どうしろと言うんです」
「どうしろなんて、何も言っていないわよ」
「傍にいると言い続けているのに、ですかー?……キミはボクに勝手に決めるな、と言ってくれましたけど、そのままお返ししますよー。
 ……ボクのこれからを、勝手に考えないでください」

少し、覗いた本心―――

「これからなんて、考えられないんですよー。……キミがいようと、いまいと、どうでもいいんです――ボクにとっては、ずっと見続けた夢、夢だけが―――なのに、ボクの夢に勝手に出てきて――」
「……え?」
「あの夢は、夢です。進むべき道の夢が潰えたのに、キミが傍にいるとその夢をボクは、愚かにも見てしまう――見たくなんて、ないんです」

レインがずっとつけていた仮面が、音を立てて……壊れる―――

「恋だ愛だの感情に振り回されて、それに付き従うなんてボクに言わせれば愚の骨頂なんですよー。人の常識なんてそれぞれ違うものですよねー?……ボクとキミは決定的に違う――」
「わかってるわ。だから―――」
「キミがボクの何を、知っているというんです……そんなのは、キミの驕りです、撫子くん――傍にいる、いるって…いたって幸せも何もない――ボクにはそんなもの、必要な――



パンッ!!



渇いた音が響いて。

ジンと痺れた感覚がお互いの頬に、掌に――

痛い、胸が――――痛い―――――


「………気は、…済みましたかー?……もう、いいでしょう?呆れて、ボクの事は…放って、……いいんです―――」
「もう一度、叩かれたいの!?いい加減にして!!」

静かにしなきゃいけない。
騒ぎになるかもしれない。
でも、でも、この分からず屋には、今しか伝えられないのだ。

「たった1日よ?たった1日で真実を知った私とあなたが、お互いの気持ちを理解しあえるわけなんてないじゃない――っ」
「特に、レインなんてやることめちゃくちゃで、ひどくって、ひねくれてて……あなたの気持ちなんて、知っているわけないでしょう!!」

撫子が握った拳は、ドン、ドン!とレインを壁に押し込むように強く打たれて。
ぽたぽたと落ちて染みた涙の痕は、カエルの涙のようにも見えて。
乏しい言葉にありったけの気持ちで、レインに訴え続ける。

「わからないから、傍にいるのよ――あなたと私の常識は違っても、歩み寄ることは出来る筈だわ…いつか、いつか―――気まぐれにでも、あなたがそう、思ってくれたら――」

「今、なんて、言ってない―――いつだって、いいの。そうならなくったって、それでも!そう思えるように……傍に、いたいのよ―――」


レインの視界は、何故か良好とは言えなくなった。

形すら覚束ない撫子の姿が、泣いているのだけは、わかって―――

どうして、叩いた方が泣くのか――
どうして、こんなことで泣くのか―――

どうでも、………いい、筈なのに―――、なんでこんなに、彼女をあしらえないのか―――

彼女の一言一言が、いちいち胸をざわつかせて

血が集まったかのように熱く痛む頬が、何かを払拭するように血を通わせる。

鬱陶しいくらいに、手に流れ落ちる水は、涙なのだろうか―――


「レイン、オマエ……」
「………………」

何にも言葉が返せないくらい、わけのわからない感情で頭がぐちゃぐちゃで―――
顔を覆ったまま、俯くレインの頭を、……撫子が躊躇いなく、ゆっくりと撫でた。

「………ねえ、レイン。……聞き忘れていたんだけど……もう一つの夢に、私は出ていたの?」
「……っ」
「私は、あなたの進んできた夢は、歩めないけど。もう一つの夢に私が出ていたのなら……それを一緒に見たい―――」
「…………」

撫子は撫でていた手をゆっくりと離すと、レインの頬を濡らすものを無言で拭った。
あなたの親友を叩いて、ごめんなさい、とばかりにカエルの頬も一撫して。

「…ねえ、レイン?テロが起こったって、何があったって、あなたがいなくなっていたとしても……ちゃんと見つけるから…私が見つけたら」
「私には勝てないって、認めて、諦めて、傍にいさせてね」

願望だけど、見つからなければ見つかるまで探して、傍についていく気ではいるけれど。
支離滅裂極まりないけれど。
少しでも剥がれた仮面の中に、私がいたと信じたい―――

「……見つけるも、何も……カエルくんを、キミは……預かったまま、じゃないですかー」
「……戻る?」

レインの問いへの答えのように、撫子がカエルに問いかけたのだが。
心なしか、その手は撫子の方に伸びて―――

「黙ったままだし、このままがいいのじゃないかしら?」
「……薄情な、カエルくん、ですねー」
「そうかしら?情が深い分……あなたの傍に私がいることを、望んでくれているのではないかしら?」
「ま、そーいうこった。オレ様といたいのなら腹くくっとけ!レイン」

そのカエルの言葉に、一瞬憮然とした表情を浮かべながら、レインはカエルのコック帽だけを手元に寄せた。

「……もし、撫子くんに何かあったら、カエルくんはビショップにでも渡してくださいねー」
「何かって……怪我でもするってこと?」
「…………」

レインが沈黙と共に浮かべたのは、時々見せる、何かを躊躇って言葉を捜す時の笑顔―――

「何も、ないわよ」
「…………はいはいー」
「……馬鹿」

撫子はすくっと立ち上がると、そのまま身を翻し、足早に牢を出て行く。
その背に思わず目を奪われてしまうのは、これが最後だから―――と思っているから、だろうか。
レインは誰もいない牢内で、ただ消えた背中の方ばかりを見つめながら口を開いた。

「…………ビショップ。聞いていましたよねー?」
『…………』
「もうすぐ、彼女戻るのでー……ちゃんと、戻してあげてくださいー」
『なんでぼくが。……それに戻すって、どこにです?』

どこに―――

「意地悪ですねーわかっているでしょーに」
『ぼくがあなたの言うことを聞くと、思いますか。どうしてまだそう思えるのか、不思議で仕方ありません』

苛立ちを静かな口調に滑り込ませる彼の気持ちは、もっともなものだったのだが―――
まだ円が知り得ない情報を、レインはようやく舌に乗せた。

「…………ビショップの探していたお兄さんの居場所、もうわかっているんですよー。だから、もう……キングに従う必要もない筈です」
『…………』
「教えます。ですから……戻して、ください」
『……―――』

それきり、通信が途絶えたのはきっと、撫子達が管理室に着いたからなのだろう。
再び静かになった牢。

一人きりとなった牢の中、再びずるずると壁伝いに腰を下ろして。
自分の行動が信じられなくて、ははと小さく笑いながらも、ずっと心で自問自答をして。

戻す、どこに――――?

彼女の部屋に、鷹斗くんのもとに――――

今までの自分なら、間違いなくこちらだった。
彼女は鷹斗くんの、キングの絶対的な人で、それは変わらない――
研究の為に、夢の為ならば迷わなかっただろう。



……撫子くんの、時代に――――――

馬鹿な、と思う。
けれど、浮かんでしまった選択肢は、もう消すことは出来なかった。

ここにいれば、傍にいると言い張って。
ボクを本当に、困らせる――――過去、ないくらいに――――

ボクの前に君臨した大嫌いな「奇跡」を、ボクはもう……傷つけることはない…と、思うから―――
せせら笑ってしまう程に、そう思えるから―――

まだ、いる撫子に感じる、この喪失感を……素直に事実として受け止めたのだから、今度は間違えてはいない――――


「………You are…… Hard to find、 Tough to leave、 Unforgettable―――……だから、お別れです。…撫子くん―――」

カエルの帽子の中に隠して仕込んでいた小さな端末機。
簡易的なものではあるが、CLOCKZEROのセキュリティに再度ハッキング。
鷹斗が厳重に見張ってはいるだろうし、ロックも今までの比ではないだろうが……成功すること事体が無理なものに思えたが――

「最後に一度くらい、神童に勝てるといいんですけどねー……」

監視カメラの位置なんて把握している。
死角でこちらの手元を見られないように、さり気に確認するとカエルの帽子から取り出した端末機に手をつける。



2日後、テロの攻撃に後手に回ったのは政府だった。
有心会の攻撃によって建物内に引火した火は、セキュリティに阻まれることなく、建物を廻ったのである―――






***







爆発音と共にまわった火は、あっという間にビル内に広がって。
テロがあると知らされてはいても、アワー以外のセカンドやミニッツなどの構成員はいざ、有心会が攻め入ってくれば混乱は必至で。

「く…っどうして、セキュリティが―――」
「…………どうします?アワーは今有心会との戦闘に入ってはいますが、セカンドやミニッツなどを庇いながらでは――」
「わかってる。俺が指揮を執るよ……火が、回ってる。撫子は安全なところに非難させておいてくれる?」
「安全なところなんて、今はこのCLOCKZERO内にないと思うんですがね」
「外でも、いい――円の判断に任せるよ。ただ必ず彼女の傍を離れないで――」

キツく、言い聞かせるようにして鷹斗が部屋を出る。
開いたドアの先の向こうはもう、煙で見えはしなかった――

「……これ、こんな…どうして……?」
「レインさんでしょうね、……それで、あなたは、これからどうするんです」

円は絶対に離れるな、と命じられた撫子の傍を離れると、窓際の方へ向かう。
見下ろす地上は、有心会によってすでに囲まれていた。

「……レインさんと、逃げるんですか。下は敵さんでいっぱいですよ。とてもあなた達二人で逃げられるとは思えませんけどね」
「おいっ!!ソコ!オレ様を頭数に入れやがれ!!」
「ついでに言うと、まあ、キングはお怒りでしたので、この反乱も結局は抑えられるでしょうね。この世界は変わりません。…すごいですね」

最後の感嘆は、鷹斗に向けられたものだと思っていた。
だから正直に、そうね、と頷けば、皮肉を満面に浮かべられ、「レインさんですよ」と言われた。

「レイン、が――?」
「……あの、牢で監視されている状態で、キングが厳重にセキュリティを強化したものを崩し、逃げられる程度の損害を与えさせ、相手にはそれなりの対価を支払い――すごいことですよ」
「…………」

今頃になって気が付く。
鷹斗が前もってテロに気付いていた場合、それは対等な争いではなくなっていたのだ。
突き崩すには、誰かが裏をかかなくては無理だった―――

「で、付け加えますと……これは、あなたを元の時代へ戻す為、のようですよ。だから聞きました。あなた、どうするんです?」
「え――「アイツ、が、そんな事、言ったのか――?」

キミがいようと、いまいと、どうでもいい――

そう言っていたレインが、2日、離れている間に進めていてくれたこと。
どこが、どうでもいいのか。と言ってやりたい。
鷹斗の網を掻い潜って、穴を開けることは何もわからない素人にだって、困難極まりないことがわかる。

だから、カエルくんをビショップに――って…………

「……そのカエル、ぼくに預けるのなら早くしてください。ぼくも……ここを出るので、あまり時間がないんです」
「円、も?」
「ええ。まあ、あなたの気にする事ではないですよ。……元の世界に戻るのなら、今しかチャンスはないと思ってください。」
「―――そ、んなの………決まってる……」

窓際にいるビショップの方へと駆け寄ると、地上の様子に目を凝らせた。
あのわかりやすい、目立つ髪は、やっぱりどこにもいない。
元々、逃げる気などないのだろう――と、自分が手を離せば、レインはどうするのかを考えて―――強く首を振る。

「まだ、ここにいるわね。……行くわよ、カエルくん。レインを見つけに行かなきゃ――」
「おーし!!その言葉、待ってたぜー!!」
「……盛り上がっているところ悪いんですが、あれ、あなた達ただ突っ込んだら、絶対抜けられませんよ。ちゃんと頭を使ってください。」

はあ、と溜息をつきながら円はドアの方へと向かう。
振り返り、「ぼくももうすぐ出ます、裏口から抜ける予定なので、付いて来ないでください」とだけ、愛想悪く呟くと、さっさと煙の中に向かって歩いていく。

「……煙、すごいわね。さ!裏口だったわね?付いて行くわよ」
「!?レインはどーすんだよ!!」
「だって、レインはきっと……裏口でしょう?私の事を見送った円が、カエルを連れて、裏口に来る……そう思っている筈よ」
「オマエ、オレより落ち着いてんじゃねーか?」

落ち着いてなんかない。
レインを見つけて、その後だって付いて行く気ではあるけれど。
それでも、ずっと背中を向けられ、拒まれたら―― 一応、辛いのだ。
不安もあるけれど、それでも……

エレベーターはどんどん下に向かって、開かれたドアの外は先ほどよりも白く、もう数歩先が見えにくくなっている。
撫子は煙を防ぐように体を低くし、こんなところで動揺が現れたのか、カエルでハンカチ代わりに口を押さえた。

「おいっ!!」
「シ……っ!!レインを先に見つけなきゃ」
「……あーアイツ、ひねくれてんからな。先に見つけられたらボクの勝ちだとか言って追い返しそうだもんなー」
「そうよ……あ―――」

裏口のドア付近に、手持ち無沙汰に座り込んでいる小さい影。
あんなところで、こんな時に座り込んでいるのなんて、レインしかいない―――

そっと近付けば、火花や煙に巻かれた生気のない横顔が垣間見れて。
炎を映した目には、もう、希望も夢も、どこにもないように暗く翳っているように―――

……やっぱ、り――――

「…………………っレイン―――!!」
「……っ!?」

座り込んでいたレインの背後から、思いっきり抱きついた。
首が少し絞まったようだけど、少し苦しそうだけど、……ちょっとくらい我慢していればいいと思う。
生きていれば、苦しいことがあるのが当然なのだから。

「…っ見つけたわ、私が先に―――約束、守ってくれるわね?守らせるけれど」
「……も、しもーし…話が、わかりません……なんで、…撫子くん――?ビショップは―――」
「ぼくならここですけど、道に迷って遅くなりました。すみません」

しれっと、見計らったように今、その場に到着したようなその長身にレインは何とも言えない顔をする。

「ああ、ついでに。元の世界に戻るのは嫌、だそうで。そちらもすみません。」
「すみません、で済む問題じゃあないと思うんですけどねー……」
「それ、オマエ言えねーセリフだろーよ。諦めろ、レイン。腹くくれっつったろー」
「…………こんなんで、逃げようが…ない、じゃ…ないですかー」

未だに、背中にべったり張り付いたままの撫子の、首に回された腕に少し苦しげに手を寄せる。
締め付けられたのは、体なのか、心なのか―――

「ボクといたって、何も、ならないんですよー……何も、ただ、キミを送って、カエルくんを取り戻して、それで―――ボクは、もう―――」
「そんなんだから、一緒にいるって、言っているのよ。……諦めて、私といて」
「………………」

背中の温もりが、ボクには過ぎたもので―――

からっぽになった筈の心に、撫子はどんどん構わず、何かで満たそうとしてくる。

それを受け取る器すら、ない筈だったのに。

いつの間にか、小さく小さく、底に漏れないように居座っていたもの。


彼女を、愛しいと思う心は、いつから、ここに――――





同じような気持ちを返せるようになるなんて、今はまだ到底思えない。

妹を奪った世界は、未だ堕ちてしまえばいいと思えるのに――

仄暗い心の闇を抱え、闇を彷徨うことを心地よく思えた時間が長すぎて、今はまだ、終焉の螺旋を抜けた時をどう、受け止めればいいのかすらわからない、けれど―――


壊した世界、堕ちていく世界、そこに、キミがいる―――


キミがいる世界に、ボクは今、立ってる――――




Time begins ticking the seconds.








***
















素っ気も飾り気のない家に、レインと、カエルくんと。
家に落ち着けただけでも、本当によかったと思う。

レインは時々ぼんやりと、まだ変わらない暗い空を見上げている事はあるけれど―――

それでも、私にとっては「今」が、何よりも代え難い時間―――



「………ふぁ…」

レインが大きな欠伸を一つ。
最近は毎朝のことだった。元々寝起きは良くないようだけれど。

「なんだか、目が赤いわね。……寝不足?」
「元々赤っぽいんですよー、あ、ボクは今日はブラックでー」
「わかったわ。砂糖二つね?」
「えー……うわー本当に入れましたねー?」

手渡したコーヒーにさっと躊躇なく入れられた砂糖に、レインはにっがい顔を向けた。

「レインは甘党でしょう?」
「だからって、今日はブラックでも飲まないと目が、覚める気がしなくってですねー……」
「そんなに?……疲れて、いるのよ。なら尚更糖分は必要だと思うわ」

そういえば、何となく顔の輪郭もげそっとして見えるような――
にしても、お菓子のような甘いものは、どこからか調達しては食べている気がしたのだが。

「そりゃ寝不足にもなるよなーレインー!!」
「………カエルくん、黙っててくださいねー?」
「何?何か知ってるの?」

楽しそうに騒ぎ出したカエルの声を、手近にあったストールで塞ごうとしたレインの手を遮って、撫子はカエルをぽすんと左手にはめた。
この二人の様子だと、深刻な悩みではなさそうではあったけれど……それでもレインのここのところの寝不足は、どうしたって気になる。

「ま、レインがひ弱っつーコトだな」
「えーえー、どーせボクはひ弱ですー、研究者なんですよー?鍛えることなんてありませんしー」
「ひ弱?何?……風邪でも引いたの?」

熱はないようだけど、と都合よく開かれた額に手をあてるが、レインはそんなんじゃないですーと口を尖らせているだけで。

「違うって!腕枕がなー」
「腕枕?」
「…………」

突然「腕枕」などというキーワードが出て、はーと溜息吐くレインの横で、撫子の頬が赤くなったのだろう事は仕方ない。
ここ最近、朝起きるとレインに腕枕をしてもらっている事が多いからだった。

「コイツ、重くって中々眠れてねーんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

一人楽しそうなカエルの口を、撫子は今になって塞ぎたくなった。

「そ、それなら、すぐにこう…私を退ければいいのよ。そんな寝不足になるくらい我慢しなくたって……」
「はあ、そーなんですけどねー?」

ブツブツ文句を言っていた割には、砂糖2個分のコーヒーをしっかり飲んだのか。
空になったコーヒーカップをレインはテーブルに置いて、困ったように笑顔を見せた。

「それに、私、覚えていないのよ……ごめんなさい。寝相が悪いのかしら?」
「いえーキミの寝相は昔っからあんまり変わりませんよー?」

にこっとわざとらしい微笑みを向けられてから、別に、いーんじゃないですかーとカップを渡される。
おかわり、と言いたいようだった。

「よくないわよ。……間に、枕でも置こうかしら?」
「…………撫子くん、ボクの言葉に耳を傾けてくださいよー」
「だって、こんな赤い目をして」
「だから、元々ですー」
「嘘よ、こんな血走ってない…もうちょっと可愛い色だわ」

血走ってって…とこめかみに指を置き、くるくる回していたレインだが、ふと目を細めた。

「…よく、見てますよねー」
「……………」
「嬉しいですよー、あと、ボク確かにあんまり眠れてないんですけどー…」

どことなしに彷徨わせていた視線を、突然撫子に固定する。
こういう時は次の発言に注意するべきだったのだが―――

「でも、キミの重み、嫌じゃないんですー」

レインの空になったカップにコーヒーを注ぎながら、言葉を待っていた撫子は思わずガチっと音を鳴らしてコーヒーをこぼしそうになる。

「おやおやー気をつけてくださいー、では、これにてこの件は落着。ということでー」
「で、でも!」
「……ない方が、眠れないんです、撫子くん……………なーんて……わっ!!」
「レインっ!!」

しんみりと告げられた後に、からかいまじりに口を歪ませる。
タチが悪いとブンと拳を振り回せば、カエルごとキャッチされてしまった。

「あーもう、大体、カエルくんが余計な事言うからですよー?」
「オレのせいかよ!!つーかオレごと振り回すな!!」
「自業自得ですー、余計な事ばっか言うカエルくんは、今日からこのソファでお眠りいただきましょーかー?」

ねー、どう思いますー撫子くん、と笑顔で語りかけるレインに、撫子は知らないっと答えながらも笑顔になる。




レイン、あなたの心の時は、少しは進んでいるの?


あなたが一時でも、この時間を過ごせてよかったと思えるように――


影を消すことなんて、出来ないけれど、せめて。

あなたの心が陽を向いて、未来が一筋でも、あなたに優しくありますように―――











END