誰かに連絡出来ないかな――
ここで、待てとは言われたけれど…それでも連絡もせずにずっと行方をくらませていてはどれだけの迷惑をかけるだろう――
厚意で私を旅行に連れてきてくれたみんなに、ここにいる、とだけでも連絡出来れば…と、
千鶴は足音を立てないようにそおっとドアに近づき、外の様子を注意しながらドアを開けた。
別に見張りなどがいるわけでもなく、自分がここで待つことを疑っていないのだろう―と少しだけ胸を痛めながら。
千鶴は部屋を抜け出したのだった。
会場のあるホールの方からは、まだ始まってもいないのにたくさんの人が行き交っている。
千鶴はその広いホールに圧倒された。
…こんなところでお披露目…風間さんって本当にすごい人なんだ―
確かにこれでは準備の方も大変だろう。
天霧や不知火達ももう、この場に戻っているのかもしれない。
…どうしよう…どうやって連絡を…
このまま、少し考えてみる
とりあえず、1階のロビーに向かおう
このまま、少し考えてみる
千鶴は廊下の壁に背中を押しつけて、次々にセットされていく会場内の様子を見ながら頭の中を整理しようとした。
…ここに来る前、天霧さんが私と風間さんを二人にして…
そういえば天霧さんはあの後、どうしたんだろう?
普通に考えれば、旅行中の生徒が一人いなくなれば大騒ぎになることはわかっている。
彼らにしたら千鶴にこの場にいて欲しいのだから・・・
風間のパーティの邪魔をされず、尚且つ、千鶴の安否も知らせているのは当然である。
…だからと言って、土方先生達が納得してホテルに戻るとは思えないけど…
普段から犬猿の仲の象徴のようだった。
大人しく風間の言うことに頷くようには思えなく…
…先生達にはやっぱり、私の方から大丈夫ですって言えたら…
千鶴がそんな事を考えていた時、「え?な、ぬあああっ!?」とけたたましい叫び声が嫌でも耳に入って思考を中断させた。
千鶴が声の主に振り返ると…
「…っ!?永倉先生っ!?」
何故か新八が千鶴を見て指を差しながら(失礼)、口をパクパクさせていた。
千鶴も驚きはしたのだが…ハッと気がついたように新八の許へ駆け寄った。
「永倉先生…どうしてここに?」
「そ、それはこっちのセリフだぜ、千鶴ちゃん。一体全体何でこんなとこにいるんだ?ここは…」
風間グループのパーティーとやらで…と続けようとして、新八はなるほど、と深刻そうに頷いた。
「…風間の野郎に連れられて来たんだな…?」
「はい、あの私…」
「あの野郎っ!!…ん?でもよ、土方さんや左之はどうしたんだよ。みすみす千鶴ちゃん攫われるだなんて…あいつらも情けねえなあ」
困ったやつらだ、と腕を組む新八の姿を見たら、きっと二人はてめえには言われたくねえ!と怒り心頭だっただろう…
「い、いえ…あの、私…無理やりじゃないんです」
「・・・・・ん?」
新八が「攫う」と言ったことに、千鶴は慌ててかぶりを振った。
多少強引ではあったけれど、自分で付いて来たことには変わりない。
「風間さんの話を聞いて、私自分でここに…でも、そのせいできっと皆さんに心配かけていると…」
「…他の奴らはここにいるの知らないってことか」
「はい、多分…私が風間さん達といるのは知ってはいるけれど、ここにいることは知らないかと…」
「まあ、そうだろうな…んで?千鶴ちゃんはどうしたいんだ?」
無理やり攫われて来たのなら、絶対助け出すところだが…
どうやらこの場を離れることをそこまで強くも望んでいない気もする。
教師としての立場から言えば、お構いなしにホテルに戻すのがいいのはわかるのだが――
「私…その…風間さんにまだ返事をしてなくて、その返事をしてからじゃないと…」
その先の言葉は口にはしないが、向けられた眼差しには「帰られない」と強く意思が宿っている。
「・・・・・よし、わかった。んじゃ土方さんや左之には俺から連絡しとく。それでいいよな?」
「…っ助かります!ありがとうございます、永倉先生…」
「いいってことよ!可愛い生徒の為ならなあ!はははっ」
豪快に笑う新八に、千鶴もつられて笑いながらも…ふと首を傾げた。
「ところで、永倉先生はどうしてここに…?」
「・・・・・・俺は…こ、近藤さんや山南さんが、この会場でするパーティに花を贈るからてめえで持って行って、飾って、挨拶回りして、ついでに手伝いなんかもして媚び売っとけって…言われてよお…」
ほとんど、黒い笑みを浮かべる保健の先生の差し金ですが。
「…た、大変ですね」
「おう…でもこれをちゃんとやり遂げりゃあ借金帳消しにしてやるとか、粋なこと言ってくれたしな!俺頑張るからな!」
「・・・・・よ、よかったですね」
新八の曇りない笑顔に、千鶴は何とか笑顔を作って返したのだった。
「えと、じゃあそろそろ部屋に戻っておきます」
「おお、…けどよ、本当に大丈夫か?何の返事か知らねえが…不都合な返答ならあいつら聞かねえんじゃねえのか?」
新八が念押しするように問いかける答えに…
一応どこの部屋か教えておこう。
大丈夫です、と笑顔で伝える。
一応どこの部屋か教えておこう。
一応、どこの部屋か教えておいた方がいいのかな。
確かに、風間と千鶴を二人で話をさせるため、それまでの手段が強引と言われればそうで。
ここで千鶴がはっきりと、婚約者としての役割は出来ない、と答えた所で…
はい、そうですか。
と引き下がってくれると考えていた自分は、甘いのかもしれない。
そういうところでは、どこかで自分の気持ちを尊重してくれるような気はしていたけれど…
先生達に心配させている身なのだから、ここにいるという確かな場所くらいは、伝えておいた方がいいと考えた。
「あの、このホテルの…最上階の部屋なんです。部屋番号が…」
「最上階!?超VIP待遇じゃねえか…わかった。それも伝えとくからな!」
「はい、ありがとうございます。永倉先生」
それじゃあ、連絡お願いします。と頭を下げて部屋に戻る千鶴の背中を見送りながら新八は、それじゃあ手伝いの前に連絡しとくか、と携帯を取り出した。
「え〜っと…どっちかに連絡でいいよな?」
どちらに連絡しても、事情は伝わるだろう。
千鶴も笑っていたし…あくまで自分でここに残ると言っていたが――
「…厳重に見張っている訳じゃあねえみたいだけどなあ…けど、それが…」
千鶴がどう言おうと、風間達のシナリオ通りに進めるという気がヒシヒシと感じられるのは、自分の考え過ぎなのだろうか。
こういう時の自分の勘は外れたことがあまりない。
この直感は当たる。
千鶴ちゃんを放っておいちゃ駄目だ――
「…なら、土方さんに連絡だな。左之だと・・どうも連れ戻す時に、『千鶴の意思を考えて〜』とか言いそうだしよ」
『今までどこ行ってやがった!てめえ!』とこの疲れた体に鞭を打たれそうだけど、可愛いたった一人の女生徒の為に俺一人が犠牲になってやろうじゃねえか!
そんな気持ちで新八は土方に電話をかけたのだが――
プルルルル…ッ
「…ん?着信…斎藤が何か言い忘れたことでもあったか…って…新八じゃねえか!?…あいつ…っ」
その頃土方は左之と二手に分かれて、ホテルの会場を探していた。
斎藤から無事に皆ホテルに戻ったとの連絡が丁度あったところで、総司や平助を注意して見といてくれ、と頼みその電話を終わらせたところだった。
タイミングよくかかってきたことで、てっきり斎藤かと思ったらまさかの新八。
途端に眉間に縦皺が深く刻まれる。
カチャッ
「おう、土方さん。お、俺だけどよ」
多少気まずいのか、声が上ずっている新八の声に、土方の予想通りの怒号が携帯越しに響き渡った。
「新八っ!!!今までどこ行ってやがった!てめえ!!この非常時に一人ほっつき歩きやがって!!」
「お、おお落ち着けっ土方さんっ」
「これが落ち着いていられるかよ!…ちっ今はてめえに説教くれてる暇なんざねえ――後で覚えて…」
「だから、千鶴ちゃんのことだろ!俺千鶴ちゃんから言伝頼まれててよ…」
・・・・・・・・今、この馬鹿は何と言っただろうか――
苛立ち紛れに電源ボタンを押しそうになっていた指をかろうじて押さえて、土方はゆっくり聞き返した。
「・・・・おい、新八。冗談じゃねえよな、・・千鶴から言伝?」
「おう。○○ホテルに今いるんだけどよ。そこの最上階の・・・号室に――」
「千鶴がいるのか―よし、新八…千鶴のやつそこから連れ出して…」
「それが無理だから、こうして土方さんに電話してんだろ?」
「ああ?」
電話しながらも、千鶴のいるホテルの場所へと向かいつつ、土方は声を荒げた。
「いや、俺近藤さんと山南さんから…風間のパーティで色々手伝ったりしろって言われててよ」
「近藤さんと山南さんから…?」
何だその話は―俺は聞いてない――
二人の提案と言うよりも、実質、学園の経理を牛耳る山南さんの提案だろうが…
少し考えてみればわかることで、学園に多額の寄付を寄せてもらうための策―として新八に命が下されたのだろう。
近藤さんは、尤もな理由でも適当に言われ、納得したに違いない。
…敏腕なのは結構だが―勝手な真似は困るんだがな――
「…わかった。俺が向かう―てめえは言いつけ通り動いとけ。パーティの開始にはまだ間に合うか?」
「おう、まだみてえだけど…」
「それならいい、切るぞ―何かあったらまた連絡しろ」
携帯を切ると、そのまま手近に迫った一台のタクシーを拾った。
ホテルの名前を告げ、頭の中で今の事態をまとめようとしたのだが――
…そういや、何のパーティかは聞き忘れていたが…
思っているよりも、気が動転しているのか。
我ながら引率の責任者として情けなくもあるが…
山南さんが気にする規模のものだとすると――相応の面子が揃っているということだ
それに千鶴を付き添わせる意味があるとするのなら――
「…呆れるくらい単純な理由しか浮かばねえが…それだろうな――」
チっと小さく舌を打った後、焦っても仕方のない車の中で、どうしても焦ってしまう自分に、俺はガキかと自嘲めいた笑を浮かべつつ、眉間を押さえこんだ。
ホテルに到着したタクシーを降りると、いつも通りの冷静な顔を浮かべて。
回りにいる人達に、怪しまれないよう自然に振舞ながらエレベーターに乗り、すぐに最上階のボタンを押した。
扉が閉まって、上に上にと向かうエレベータの中―千鶴にみっともない姿を見られないように、いつもの土方歳三でいられるようにと―
土方は暗示をかけるようにゆっくりと目を瞑った。
エレベーターを降り、教えられた部屋の番号で間違いないことを確かめ、備え付けのチャイムを鳴らすが音がしない―
…留守、か?それとも故障――
そう考えて、千鶴の部屋に余計な者が来ても千鶴が気付かないようにしているのだろうか―そう考え直し、ドンドンと少し強めにドアをノックしてみた。
先ほどのチャイムの時にはなかった、人の動く気配がする。
「・・・風間さん?」
そっと開けられたドアの中、探していた千鶴は自分を見上げて驚いた顔をしたが、すぐに申し訳なさそうな顔を浮かべる。
安堵ではないその表情に引っかかりはしたのだが――
「雪村、迎えに来た。…とっととこんなところ出て、戻るぞ」
教師として、責任者としてここに来たと自覚させる為に、敢えて名字で呼んで。
ドアを押さえていた千鶴の腕をそのまま引っ張って、部屋の外へと出そうとしたのだが…
「あの、まだ風間さんが戻ってなくて、返事が…」
「・・・返事だあ?何を悠長なこと言ってやがる」
少し開いたドアから見える部屋の中。
色とりどりのドレスが用意されている。
やはり千鶴を列席させて、風間が薄桜学園に留まる理由―嫁を探すというのを成し遂げた、とでも発表するつもりなのだろう―
…そんなことに、千鶴が付き合うとは思えないが――
「あいつに何吹き込まれたか知らねえが、このままここにいても、ろくな目にしか合わねえぞ」
「・・・・・・」
迎えに行けばすぐに自分に付いて帰ると思った千鶴は、動かない。
意外だった、嫌々この場にいるのだと思っていたのに…
……畜生っ――
土方は、じりっと胸に疼く苦いものを押しとどめながら、深く息を吐いた。
感情的になって、どうにかなるものではない。
「…なんだ、プロポーズでもされたか。・・んなこと旅行中にするもんじゃねえぞ。帰ってからいくらでも返事をしろ」
「ぷ、プロポーズなんてされてませんっ…ただ婚約者の振りをしてほしいんじゃ…」
「…雪村、お前は今、修学旅行中の身で、学校の管理下にある身なんだ。このまま俺だけ戻るわけにゃいかねえんだよ」
「でも…」
教師としての言葉ならいくらでも吐けるのに。
自分の言葉が口に出せないのがとても歯痒くて――
今まで総司や斎藤、平助などの生徒たちとのじゃれあいを見ていた頃よりも、遙かに苦しい感情が胸を突く。
他の男のものになるかもしれない――
そんな現実味が、今までとは比較にならない程込み上げてくる。
「・・・返事を・・すれば気が済むんだな」
「はい・・・でも、まだ何も・・・これに対して返事を―とは言われていないんです」
「婚約者の振りをしろってんじゃねえぞ。もっと、基本的なことだろうよ――…お前、その時にちゃんと答えを出せるのか?」
はい、とは言わなかった。
けれど、真っ直ぐに自分を見る瞳が力強く思えた。
普段笑ったり、泣きそうになったり、忙しい瞳に芯が通ってる。
普段素直で大人しいくせに、こういう時は強情だ。
いや、人の気持ちを大切にするやつだから…余計に無下に出来ないのだろう―
「…こうまで思い通りにならねえ女なんて、お前くらいだ…ったく…」
「え?」
「いや…しゃあねえな。俺も風間の馬鹿には言わなきゃならねえことが山ほどある―― 千鶴と一緒に待たせてもらうが、いいな?」
「――はいっ」
風間の馬鹿には…教師としてではなく、一個人として文句を言おうと思った。当然だ。
そう思ったら、自然に気を張っていた言葉が崩れて…表情も、千鶴に根負けしたように崩れて。
それと同時に千鶴の表情も綻んだのだった。
23へ続く
大丈夫です、と笑顔で伝える。
「大丈夫です。聞いてくださると思います」
取り敢えず、婚約者云々の話はもちろん、引き受けることなど出来ないと思っている。
けれど、その返事を求められている…という訳でもないらしい。
話がまだだ、と言うなら、待つしかない。
それじゃあ、連絡お願いします。と頭を下げて部屋に戻る千鶴の背中を見送りながら新八は、それじゃあ手伝いの前に連絡しとくか、と携帯を取り出した。
「え〜っと…どっちかに連絡でいいよな?」
どちらに連絡しても、事情は伝わるだろう。
ただ、千鶴も笑っていたし…あくまで自分でここに残ると言っている。
「土方さんだと…風間のしたことだし…頭に血が上りそうだよなあ」
ピッっと発信記録で真っ先に表示された左之の番号を、そのまま発信させた。
内心、土方に電話をすれば…「今までどこ行ってやがった!てめえ!!」と、この疲れた体に鞭を打たれそうなので避けた、ということは気づかない振りをしておく。
プルルルル…ッ
「…ん?着信…新八か?ったくあいつ…」
その頃左之は土方と二手に分かれて、ホテルの会場を探していた。
最初電話で当たっていたのだが、どうもはっきり答えてくれないところもある。
そういう所一つ一つを廻ろうとしていたところだった。
カチャッ
「もしも〜し。左之、今ちょっといいか」
こんな時にのほほんとした声を出す新八、左之の立場からすれば苛っとするもので。
「もしも〜し、じゃねえよ!こっちは今あいつ、千鶴がいなくなって…」
大騒ぎなんだ、という左之の言葉を待たずに、おお、ここにいるぞ。と間の抜けた声が聞こえる。
・・・・・・・・・・空耳か?
「?左之?聞いてんのか!?千鶴ちゃんはこの○○ホテルの風間のパーティに連れて来られてる。まあ、無事だから心配すんな」
「・・・・心配、すんなって…し、新八!それ本当か!?」
「んなことで嘘吐いてどうすんだよ。だけどまだ返事をしてないから戻れないとか言ってたぞ」
「・・・?返事?戻れないって…おまえまさか…そのまま千鶴行かせたとか、してねえよな?」
「そうだぞ!生徒の意思を尊重する…素晴らしい教師だろう」
・・・・この場にいたら、間違いなく殴っていただろう――運が良かったな、新八…
沸々とわき上がる、この単細胞の頭に怒鳴りつけたい気持ちを、話を進めるためにグっと押さえた。
「…返事って…何の返事かわかるか?」
「いや、それは俺も聞いたんだけどよ、大丈夫です、としか言わなくてな」
「・・・・・・・・それ、そこのホテルの…パーティ。何のパーティだよ?」
大体何でそこにてめえがいるんだよ、とも思う。
一人フラフラ遊んでいたのかと思いきや…
「いや、それがさ。風間グループのお偉いさんが一気に集まるとかで、近藤さんと山南さんから色々心づくししとけって言われてよ〜」
おまえ時間あるなら手伝ってくれよ、左之と語りかける新八の弱弱しい叫びは見事に左之の頭を通過していった。
・・・・・・・お偉いさんの集まる、パーティねえ?
「――パーティ…そういや…結婚…とか、…何かのお披露目だとか…」
京都に来て、風間の足止めした平助と山崎は、風間が結婚の為に京都に、と言っていた。
それに土方は何かのお披露目だったような―と呟いていて。
それに対していつもの戯言だとばっさり切り捨てて問題視していなかったが…
元々、違う目的だったとは言え、千鶴がこのタイミングで京都にいたことで、パーティの名目も変わったのかもしれない。
だとすると、千鶴の言っていた返事というのは――…
左之が嫌な予感に冷や汗をかいて、携帯を握り締めた時、左之の独り言を聞き逃していなかった新八があ、そうそう…と口を挟む。
「左之、よく知ってんなあ。このパーティ、風間の婚約披露パーティに変わったとかでよ、こっちは花輪まで用意したんだぜ?」
・・・・・・・・・風間の婚約披露パーティ・・・・・・・・・
そこまではっきりわかっていて、千鶴を戻した新八にさすがに我慢できなかった。
「ば、馬鹿野郎おおおおっ!!」
「うおっ!?な、何だよ…っ!?」
「ああもういい、俺も行くからな。パーティなんか始まらねえように見張っとけよ!!」
「・・・へっ?」
不思議がる新八の気の抜けた声をこれ以上聞いてられまい、とばかりに携帯を切り仕舞い込む。
左之は急いでホテルの会場へと向かった。
…くそっあいつ許せねえ…っなしくずしに千鶴を嫁にする気か――
堪え切れない憤怒の感情が、左之の体を震わせた。
道行く人が何事か、と振り返るほどに、その形相はまさに鬼のようで。
原田左之助は女性に人気がある。
女と付き合いたいと、好きだと、恋焦がれる前に…大抵女性の方から声をかけられ申し込まれて。
付き合うこと自体にも、こんなものなのか―と思った事は正直ないとは言えない。
決していい加減な気持ちではなかったが、男同士で気がねなく飲みに行ったりすることの方が楽しかったのは事実で。
けれど、そんな思いは…たった一人の生徒によって変えられた。
それが千鶴。
最初はただの、可愛い…自分の学園の生徒の一人だった。
女一人ということで気にかけていたというのもあって、自分が目で追っていてもそういうことが原因だろうと思っていた。
時折職員室で顔を合わせれば、ふわっと微笑んで嬉しそうに話す千鶴。
その微笑みが向けられれば嬉しくて、視界に千鶴がいることだけでも…妙に胸が高鳴って。
総司や斎藤、平助、山崎…同じ生徒として、積極的に…(一部は違うけれど)千鶴に好意を寄せて、楽しそうにしている様子を見て。
「楽しそうだな、あいつら」とほほえましそうに言う言葉に…嘘はなかったが心情は複雑で。
土方さんもそうだったのだろう――
同じように苦い顔で笑いながら「そうだな」と頷いていた。
教師だから、押さえなきゃいけない感情があって。
でも千鶴といるとその感情は高まっていく。
二つの感情に挟まれながらも、千鶴と話す穏やかな時の中で、千鶴には…年相応の恋をさせてやりたい、と思えた。
自分が気持ちを傾けていくことで、千鶴が苦しむことになるのは嫌だった。
何より、千鶴のことが大切で…3年間、千鶴が誰を選ぼうと付き合おうとそれを見守って。
幸せであるなら―と思っていたのに――
体の意識がないような感覚なのに、頭は何故かスーっと霧が引いていくような感覚がある。
走り通しの体は悲鳴をあげて、肩も揺れて、呼吸もリズムを崩し、熱気を出すように汗が滴り落ちるけれど。
それでも目だけは冷えたもので、辿ついたホテル内の人々を睨むようにしながら進んでいく。
「・・・・・・・くそっ千鶴…どこだ…」
パーティのある会場はホテル内でも一番大きいホールだった。
そんなところでパーティをするならば、千鶴の部屋もいい部屋を押さえているに決まっている。
エレベータ―で最上階に上り、降りたはいいが、そこからはシン…と静まりかえっていてどの部屋か見当もつかない。
ここで騒ぎを起こせば千鶴だけではなく、学園にも迷惑をかけるかもしれないが――…
その時、ある部屋のドアがそ〜っと開けられた。
遠慮がちに廊下を覗くその人影は…
「――― 千鶴…っ」
原田先生っ!?と目を丸くする千鶴に、左之はこれ以上声をかけられなかった。
大切な少女を奪われまいとするように、その腕の中に閉じ込めて。
それ以上動くことなど、出来なかったのである。
23へ続く