『月すら満たされるように』




随想録島原潜入後のお話です。




〜千鶴side〜




賑やかな話し声が聞こえる。
西本願寺は広く、部屋も前の屯所よりも多いのに。
一間に揃って楽しそうに言葉を交わしている様子の皆にと、千鶴はお茶を運んでいた。
人数分のお茶は細い腕にしっかりと重量を感じさせ、零さないように、と自然に足の運びは緩やかになる。

それがいつもの歩調を改めて、結果気配を少しだけ絶つようになったせいなのか。
普通なら聞かずに済んだ会話を、聞いてしまったことになるのかもしれない。


「僕は、千鶴ちゃんは連れて行くの反対」


総司にしては珍しくやや大きな声で部屋に響くように皆に発していた言葉は、聞こうとも思っていなかった千鶴の耳にも容易に届いた。
その声に「ええっ」「何でだよ!?」と非難めいた言葉を浴びせているのは平助や新八のようだった。

……私の、話?

自分の名前が出たことで、少しずつ進んでいた足は完全に止まって。
つい、中を伺うように耳を立ててしまう。

「千鶴だけ残すなんて絶対反対!!一緒に行って一緒に楽しんだらいいじゃん。あいつはこの前頑張ったんだしさ!」
「そうだよなあ。この前は島原にいたっつっても芸者としてだしよ。客の立場で行かせてもいいんじゃねえの?」

……島原?皆さんまたお出かけになるのかな?

それで自分をどうするかで揉めているのだろうか。
どっちに決まってもそれに従うだけだと思いつつも、もし出かけられることになったら嬉しいなあとも素直に思う。
島原に行くというより、みんなと一緒に行動することが嬉しいと思うから。

「よく言うよね、平助。この前千鶴ちゃんが芸者として潜入した時は一番ブツブツ言って不貞腐れてた癖に」
「そ、それは……っ!!」
「まあまあ総司、いいじゃねえか。今回はよく頑張った千鶴ちゃんへのご褒美ってことでよ!一緒に行こうぜ!なあ!」

新八の助け舟にそのまま、その場の意見が決まったのかと思いきや、「ご褒美、ねえ?」と総司の意味深な声が聞こえる。

「……な、なんだよ!その顔!」
「何って僕の顔ですよ。それより、いいんですか?千鶴ちゃん連れて行って」
「だからそう言ってるじゃん!!」
「だって今日は、僕たち幹部隊士だけじゃないんでしょう?ねえ、土方さん。平隊士も誘って行くって聞きましたけど」

総司の言葉に、思ったよりすぐ傍から土方の「そうだな」という声が聞こえて、千鶴は慌てて少し後退した。

……気付かれて、ない?
ここに居るって気付かれたら、やっぱり怒られるよね。

自分でも行儀の良くないことは承知しているのだが、つい、その場を離れられず会話に割って部屋に入ることも出来ない。

「あいつらはてめえらの金で行けるほど、給金もねえしな。近藤さんのはからいでそういう事になってる」
「それなのに、千鶴ちゃん連れて行ってもいいんですか?」
「……同じ座敷で呑む訳ではあるまい。総司、何が問題なのか……簡潔に話せ」

土方の傍に控えていたのだろうか。
斎藤の咎めるような言葉がその場の空気をピンと張らせた。

「男装したとは言え千鶴ちゃんがいるのと、いないのじゃあ…呑みっぷりも変わるじゃないってこと」
「……呑みっぷり?」
「そう、千鶴ちゃんの前じゃあ出来ないような呑み方、してる人だっているだろうし」

うっ……と声を詰まらせる気配が小さく漏れる。
それにしても、と千鶴は疑問を浮かべる。

……どんな、呑みっぷりなのかな?


「息抜きに行くんでしょう?あの子の視線気にして呑むのなんて、ハメも外せないんじゃない?」
「そんなにハメ外すような真似させねえからいいんだよ。むしろあいつがいて大人しく呑むってんなら、無理やりにでも千鶴同伴させるくらいがいいじゃねえか」

そんな理由かよ、と呆れたような声色で土方が総司を制している。
だけど、『そんな理由かよ』と土方が言い捨てた理由は、千鶴にとっては大きなものだった。

……皆さんの仕事には、ちゃんと息抜きは必要だと思うのに。
私が行くことで気を遣わせてしまうのだったら……私は……

「それじゃあ息抜きにならないじゃないですか。僕は嫌ですよ。それに……」
「まだあるのか」
「酒に酔うと……本能的に女性を求めたりするでしょう?僕らはともかく、普段行き慣れていない平隊士が、千鶴ちゃんに気付く事だってあるかもしれないですよ?」
「それは―――」

否定できない、と思ったのか……部屋に沈黙が訪れる。

男じゃないと気付かれたら、どうして新選組にいるのかという話になる。
それだけは、絶対明らかにされてはならないこと。
私の身も危ないけれど、運悪く気付いてしまった人の身も危なくなるかもしれない――

「そうなると、面倒でしょう?」

総司の言葉が胸にのしかかる。

『面倒』だとまとめられた自分に、今まで以上に傷ついてしまうのはどうしてなのか。
ふと、前の潜入の時の事を思い出して、余計に胸が痛くなる。

『今の可愛い君なら、守り甲斐もあるし』

……今の、男装の私のお守りなんて……嫌、だよね――

慣れてしまって何とも思わなくなった袴姿が、急に気になってくる。
何ともいえない痛みに唇をキュッと噛み締めて、千鶴はフラっと立ち上がった。

気付かれないようにゆっくりその場を離れると、何事もなかったかのように若干足音を立てて戻った廊下を引き返す。
何も知らないフリをして、今お茶を運んで来たかのように声をかけたのだった。




***




夜、いつもよりも静寂に包まれる屯所には、風の音や虫の音が季節を告げるように響いている。
千鶴はそっと部屋の外を覗い、人の気配がないことを確かめるとゆっくりと広い廊下にポツンと膝を抱えて座る。
土方に島原に行くことを告げられた時、笑顔で屯所に残ると伝えた。
ほっとしたような、申し訳なさそうな土方の後ろで、ふいっと背を向けてその場を後にした総司の後姿をふと思い出す。

……よっぽど、私が行くの……嫌だったんだろうな――

今まで後ろをついて歩いて、しでかした鈍くさいことの数々を思い返せば当然かもしれない。
考えれば考えるほど、空に浮かぶ弦月を楽しむことも忘れて気持ちが沈んでしまうのだが。

……こんな風なところも、ダメだよね。うん。落ち込むより認められるように……もっともっと――


「しっかりしなきゃ!」


ようやく顔をあげて、月を眺める筈だった千鶴の目に「何が?」と首を傾げる総司が月を遮り映る。
きょとんと目を丸くした千鶴の横に、「今日は風が気持ちいいね」と自然に腰を下ろす。

「はい……あっ!私、部屋の外に出ててすみません……部屋に」
「戻らなくてもいいよ。本当に今日はみんな出払ってるし。すごい静かだよね。屯所でこんなにゆっくり月を眺めるのもいいね」

いつもは騒がしい人がすぐに寄って来るし。と月を見上げる総司の横顔を千鶴はそっと横目で見る。


……具合、悪い…とかなのかな。
近藤さんのはからいだって言ってたけど、行かないなんて……
それなら、あんまり夜風にあたらないほうがいいんじゃ――


聞きたいことはあるけれど、穏やかに月を見上げる総司にどう聞けばいいかわからなくって。
そんなことを考えていたらいつの間にかじっと見つめていたらしい。

「そんなに見つめて、僕に見惚れてるの?」
「え……い、いえっ!!違います!!」
「そうやって否定すると、肯定してることになるよ?」
「ええっ!?」

月を見上げてばかりいた総司が、千鶴に向かって目を細める。
月明かりに照らされたその表情に、言葉通り一瞬見惚れてしまい、その事を自覚して頬が熱い。

「よかったね。暗いから君が慌ててる姿も昼間ほどは見えないかも」
「もう、よくないですよ。……あの、風、冷たくありませんか?」

あくまで自然に気遣うように、ちょっと尋ねてみたような千鶴の言い方に総司は「気持ちいいって言ってるのに」と少し身体を伸ばした後。
千鶴の心配をわかっているかのように、言葉を続けた。

「今日は近藤さんのはからいだけど、近藤さん自身は参加してないし。だから行ってないだけだよ」
「そうなんですか。それは……残念でしたね」

そう答えながら、心の中で具合が悪いわけじゃないのだとホッとする。

「残念じゃあないよ。僕の可愛い芸者さんはもうあそこには行っても会えないし。行き損でしょう?」
「……はあ……」

きっと、他の隊士さんが聞いたら、「総司に気に入りの芸者がいたのか!?」と驚くだろう。
千鶴も驚いていた。
一言目には「そういうこと、興味ないから」の総司である。

「確かに……会えないなら……寂しいし、つまらないですよね」
「そうでしょう?」

にこっと笑顔を向けてくる総司に、千鶴は何だか居た堪れなくなる。

その芸者さんがお休み……とかじゃあないんだよね。行ってももう会えないってことは誰かにもう……
沖田さんがせっかくその人を好きになっていたかもしれないのに……

「ほ、他にもたくさんっ可愛い芸者さんや綺麗な芸者さんはいますよ?」
「……今までもたくさん見てきたけど、気に入るのは後にも先にもその子だけだよ」


慰めるように連ねた言葉は、あっけなく総司の一筋な想いに弾かれてしまった。


……沖田さん、失恋したということになるのかな。
だから、島原にも行かずに一人で感傷に浸ろうとしたのかもしれない。
いっつも笑顔だけど(時々怖いけど)、笑顔の裏で…沖田さんだって辛いこといっぱいあるよね――


「…………」
「……何、その顔。何だか違うんだけど」
「……?違う?」

何か間違ったことを言っただろうか。
もしかして、同情されたと思って怒っているのだろうか――

「反応が違う、全然違う」

見るからに不満そうな顔でこちらを見つめている総司に、千鶴は必死に考えた。が、満足してもらえるような言葉など全く思いつかない。
というか、何が不満なのかわからないので無理である。

「……っそ、そういえば…芸者さんにもやっぱり好きになることあるみたいですし」
「そりゃそうだろうね」
「その人も、その…もしかしたら沖田さんのこと、好きだったのかもしれませんよ」


勢い言った後に、激しく後悔した。


……失恋した人に、そんな無常な希望言ってどうするの私!!!!


何を話していいかわからず、口をついて出たとんでもない言葉に、さぞ気分を害しているだろうと思い、おそるおそる総司を見上げると……


……何故?


すっごく機嫌を持ち直していた。

「そうだと面白いんだけど」
「面白いって沖田さん……ちょっと違いますよ?」
「そう?」

楽しそうに口角をあげる総司に、千鶴もつられて微笑みながら抱えていた膝を伸ばして壁に背中を預ける。

「その芸者さんがもし……ここを出たいって沖田さんに助けを求めたら、助けていました?」

落ち着いて話せるようになってくると、何だかそれだけ総司に想われている人を想像してツキンと胸が痛んでくる。

「…?…そりゃ、周りでうるさく言う輩は斬って…君だけ連れ出して終わりじゃない?」
「ぶ、物騒ですよ!…でも、沖田さんらし…い、です…ね?」

答えながら、総司のお気に入りの芸者が指定されたことに気が付いて。

『君だけ』と言った……?
君、…………私??

ズキズキしていた胸が、甘い混乱で疼き締めつける。
いいのだろうか、間違っていないのだろうか――

突然落ち着かず視線を彷徨わせる千鶴に、総司が「大体…」と声をかけてくる。

「聞かなくても、前に助けたんだからわかるよね?」

柄にもなく正義の味方してあげたのに―と千鶴にとって嬉しい不満をブツブツ漏らす総司に、千鶴は今が夜で本当によかったと思う。
顔が考えられないくらい熱い、一気に上昇した体温が素直にその嬉しさをあらわしているから――
火照った肌を冷やすように、手で一生懸命扇いでいると、その手をパチっと軽く払い落とされた。

「……千鶴ちゃん、その態度。僕の言ってる意味わかってなかったんだね」
「え…そ、そんなこと…」
「嘘吐きは好きじゃないよ」
「……嫌い、って言わないんですか…?」

褒めてくれる時も、笑ってくれる時も「嫌いじゃないよ」と言われたことはあるけれど。
好きだと言われたことはない。
それでも、嫌いじゃないの反対を、好きじゃないと言うところに、何だかそんな小さなところにすっごく総司の「好き」があるような気がして。

「生意気」

ピシっとおでこを小突かれる。
でも、否定しない。それが、嬉しい――

「話逸らさないの。言ってる意味わかってなかったよね」
「だ、だって仕方ないです。昼に沖田さんが…」
「僕が?」
「私のこと、面倒でつれて行きたくないって……それなのに、そんなこと考えられないです」

本当に嫌なのだと言うのが伝わる声色で、そんな事を言われたのに。
それなのに今現在も、私が気付かないのが悪いと言わんばかりにため息を吐かれた。

「……昼間のこともさ、もうちょっと、肯定的に考えられないの?言葉通りにしか受け止めないとか…単純極まりない馬鹿っていうか……」
「あれでどう肯定的になれるんですか」
「……まあこれで、これからは肯定的に考えられるよね」

そこは、はい、とは即答出来ずに。
それでも、考えてもいいのかな……と胸の音が早まる。
千鶴の様子を知ってか知らずか、総司が身体をずらして千鶴の半身に体重をかけてくる。

「…っあ、あの…」
「僕に助けてもらって、ここにいるんでしょう?僕の芸者さん。それなら僕が傍にいて当然だと思うけど」

肩に乗せていた顔を、千鶴に向けて微笑むその一瞬の表情が、胸に甘く残る。
高まる動悸を制するのに必死で胸をあてているとその手に、総司の骨ばった指が優しく触れる。

「わざわざ残って、君に会いに来たんだから……お酌くらいしてくれるよね?」

そう言われて、前に芸者の格好をした時には総司の背中に守られていただけだという事を思い出す。
出来れば、あの時の格好で酌をしてあげたかったという気持ちはあるけれど――


「……綺麗な格好も、可愛い格好もしてない雪村千鶴ですけど、それでも、いい……ですか――」

フワッと目を細めて、猫の口が嬉しそうに緩む――

「うん、君がいい――」


たった一言が、その想いが千鶴の心を熱で包んでいく

頭を乗せられた肩、寄せられた身体、背中に回された手、そのまま包まれた身体


声をかけるより、先に。

言葉にならない想いを伝えるように身体の熱を預け返す。



包み込む腕に想いを満月に膨らませる、弦月の夜――










END








〜総司side〜




「島原に皆で呑みに……?」
「ああ。この間の件も一段落したってことで…たまには、だと。近藤さんの提案だがな」

集められた幹部隊士はやった!と声を弾ませていたり、黙って次の言葉を待ったり、それぞれの反応を示しているが。

「土方さん、それ近藤さんも参加するんですか?」
「いや、近藤さんは今夜別の接待みたいなもんがあってな。来れねえだろうな……」

全く自分の骨休みも考えろってんだ、と呟く土方に、総司もそこだけは同感だった。
それにしても近藤の不参加がわかると途端、行く気が全くなくなる。

それに、どうせあの子は屯所で待機組だろうし……それなら――

「なあなあ、それって千鶴も連れて行っていいのか?あいつ、この間潜入で一番頑張ったと思うし」

平助の言葉にそうだなと賛同する面々に対して、総司は内心舌打ちをした。
善意で「千鶴喜ぶだろうなあ」と笑顔を撒き散らす平助に、余計な事を…とばかりに軽く睨みつける。

新八はお酒に夢中になるし、左之や土方も芸者が放っておかないので問題はない…と普通は思うだろう。。
平助も新八達に付き合わされるだろうし、斎藤も端の方で呑むだけで、千鶴が行ったとて何があるわけでもないと皆思っているだろうが。

新八はともかく、左之や土方は結構千鶴を気にかけて、一人になっているのを見ると機会を見計らって声をかけそうだし。
平助は見るからに千鶴に懐いているので、新八らと騒ぎながらも千鶴にちゃっかり傍にいてもらいそうな気がするし。
斎藤にいたっては一人で酒を嗜んでいる体で、千鶴が気にかけて酌をしに行きそうである。

結論として、千鶴を連れて行くのは自分が苛苛して酒どころじゃないのは目に見えてる。

子供のような独占欲は、尊敬する近藤の常に傍にいる土方に容赦なく向けたこともあった。
それでも、近藤の時には、結局それが近藤の為なのだと思えることが出来る。
けど、千鶴のことに関しては…我慢する必要があるとも思えない。

むしろそんな事で我慢してたら、誰かにあっという間に攫われてしまいそうだった。

芸者姿になった時、素直に可愛いと思えた。
その時は気付かなかったが、その帰り道、皆の千鶴への感想に気分が悪くなった。

可愛い千鶴を背に守った時、その後そのことで彼女をからかった時、沸々と湧く想いがあった。
それを、他の誰にも感じさせたくないと思った。

子供だっていうなら子供でいい。

独占欲を振りかざして彼女が傍にいるのなら、それでいい――


すでに周りは千鶴を連れて行く雰囲気になっている。
土方も首を縦に振りそうだった。
どうしようか、と一人黙って思案したのが正解だった。
この部屋に向かう千鶴の気配が微かに感じられる――


……千鶴ちゃん自身が、行かないって言えば問題ないよね……


でもあの子は誘われたらすぐに「はい」と憎らしいほどの笑顔で言うだろう。
僕は残ると言っても、平助達に強く誘われたら…きっと行ってしまうだろう。
この部屋に近づく彼女の耳に届くように、いつもより声を張る。


「僕は、千鶴ちゃんを連れて行くの反対」


一斉に静かになる室内と千鶴の気配。
うん、大丈夫。聞こえてる……ちゃんと聞いててよ?千鶴ちゃん――と胸の内でだけ問いかけて。

彼女だけじゃなく、ここにいる隊士がとりあえず納得するような理由を連ねてみる。
口先だけで丸め込むなんて簡単だ。


「息抜きに行くんでしょう?あの子の視線気にして呑むのなんて、ハメもはずせないんじゃない?」


あの子が行くことになれば、僕も仕方ないから行くと思うけど。
彼女の視線の先に誰がいるのか、気にならないとは言えない。
呑むことよりも、それに集中してしまいそうだ。


「それじゃあ息抜きにならないじゃないですか。僕は嫌ですよ。それに……」


適当な理由に、つい本音が混じる。
行かせたくないのは、単に僕が嫌だからだ――
息抜きになんて出来る筈もない


「酒に酔うと……本能的に女性を求めたりするでしょう?僕らはともかく、普段行き慣れていない平隊士が、千鶴ちゃんに気付く事だってあるかもしれないですよ?」


羅刹のことを持ち出してしまえば、土方さんは首を縦には振れなくなるだろう。
自分のことより、人の事を考える千鶴も、これを聞けば「行く」とは言えないだろう。



「そうなると、面倒でしょう?」


本当に面倒だよ、と心の中でもう一度呟く。
酔った土方さんとか、女慣れした左之さんとか、気持ちを全面に押し出す平助とか、しれっと横取りしそうな斎藤君とか。

今考えるだけでもムカムカするのに、実際そんな思いするなんて冗談じゃない。


ふと、千鶴の気配がなくなったことに気が付く。
ちゃんと聞いていただろうか――と思っていると、左之に横っ腹を肘で小突かれた。

「何です?」
「何っておまえなあ、千鶴がいたの知っててああいう事言うんじゃねえよ」

こそっと告げる言葉とは裏腹に、その目には強い抗議の色が含まれていた。

「…やっぱり、左之さんは侮れないですよね。気付いてました?」
「気付くだろ、普通……千鶴残したいからってもうちっと言い方ってもんがあるだろ?」
「残したい、じゃないですよ。面倒だって言ったと思いますけど」
「ほ〜…でも、面倒だって言い切った千鶴と一緒に、総司も残るつもりなんだろ?」
「……僕は、近藤さんがいないから行かないだけですけど」

取り繕うように浮かべた笑みをわかりきっているように、左之がにやっと笑って頭を軽くはたかれる。

「とにかく、千鶴に後でちゃんと謝れよ。お前あんなことばっか言ってると嫌われはしないでも、あいつのことだから……」


左之の言葉が言い切らない内に、「あの、お茶が入りました」と笑顔で千鶴が入ってくる。
何事もなかったかのようにお茶を配る千鶴が、総司の前に来てお茶を渡したのだが――

総司を見るようで見ていない。
どこか焦点を逸らした空の視線だけが向けられて――


茶を渡した後すぐに総司の傍を離れる千鶴に、土方が声をかけた。



「千鶴、今夜…島原に呑みに行くんだが、お前は…」
「はい。わかりました。私はお留守番してますね。部屋で大人しくしてますから安心してください」

にこっと告げる千鶴に、色々あれど誘おうとしていた土方は一瞬言葉を詰まらしていた。が、千鶴の頭にそっと手を置く。

「お前も来たきゃ来ていいんだぞ。遠慮なんざするんじゃねえよ」
「いえ、私は……夜のうちにしておきたい繕いものがあるので。お気遣いありがとうございます」

気遣う土方に申し訳なさそうに微笑む千鶴の姿に、左之が総司の頭をぺちっと叩いた。

「気遣ってるのはどっちだか……なあ?総司」
「……繕いものがあるんでしょう。それなら仕方ないと思いますけど」

行かせない為とはいえ、無理して笑う千鶴の姿に、何だか満たされない思いがぐるぐる廻る。
この場に居たくなくなって、千鶴に背を向け部屋を後にしようとすると、左之が背中を軽く拳でコツンと叩く。

「夜、ちゃんと謝れよ?」
「……別に、夜は一人でごろごろするんで」
「さっきみたいに、避けられたままになるぞ。…夜、謝っとけよ」


…何で僕が謝らないといけないのかわからない。
彼女が、鈍くて……僕の気持ちに気付かないからこうなるんだと思うんだけど。


見つめられてもちっとも嬉しくない、焦点のあわない視線を思い出して。
あれが続くのだろうか、と思うと廊下を進む足が動かなくなる。


「……それなら、気付かせればいいんだよね」


いつもお節介焼いてきたのは君なんだから、今更避けようとしたって無理だということを教えてあげよう――




***




夜、皆が出払って静寂が屯所ないを満たした後。
廊下を歩き千鶴の部屋へ向かう総司は、千鶴の部屋の前に小さい丸っこい影を見つけた。

弦月が漂う月夜に目もくれず、膝を抱えて頭を膝にこすりつけて。
いつもより小さい姿が余計に小さく見えた。

……繕いものは、やっぱりして…ないよね……

ほんの僅かの罪悪感が心に浮かぶ。

そ〜っと気配を押し殺して総司は千鶴に近付いた。
腰を屈めて声をかけようとした時、

「しっかりしなきゃ!」

パッと顔をあげて、何やら決意を込めたような千鶴の表情に、素直に「何が?」と告げた途端の千鶴の顔の急変に総司は思わず噴出しそうになる。
千鶴が部屋に戻らないように隣に座って、さっきの千鶴を思い出して笑ってしまわないように、千鶴の顔じゃなくて月を見上げる。
何てことない会話をポツポツと交わして、普通に話せていることに総司は安堵していた。

いつものようにからかって。
宵闇の中でもわかる、赤くなった千鶴に目元が自然に和らいでしまう。

そんな総司に千鶴も昼間のことは知らないフリをしたまま、傍で座っていた。
自分の事を面倒だと言ったことよりも、総司の体の心配をして視線を添えてくれる。


そんな千鶴に総司は、気持ちを知って欲しいと思った。

知らないなんてずるいと思った。

知って、君も僕と同じような気持ちになればいいと思った――


近藤さんがいなくて、今夜参加しなかったことを残念でしたね―と告げる千鶴に、残念じゃないよ。と総司は本心で答える。

そりゃ近藤さんがいたら、きっと参加して楽しんでいただろう。
でも彼女とのことは別にちゃんとあるのが、今はわかる――

千鶴とのことだって、大事にしたいと思い始めてる気持ちを、無視することはできないから――


「僕の可愛い芸者さんはもうあそこには行っても会えないし。行き損でしょう?」


発した言葉に、千鶴の反応はどこか掛け違えたものだった。
前に可愛い芸者さん、と総司が巡察中に話しかけた時とはおよそ違う反応で。


「確かに……会えないなら……寂しいし、つまらないですよね」

千鶴は全くうろたえることも、恥らうこともなく、落ち着いて答えてくる。
総司は頷きながらも、どこかおかしいと感じた。


…千鶴ちゃん、自分のことってわかってて……こういう事言うかな?……いや、もしかして……わかってないのかも――


総司が千鶴のことを訝んでいると、千鶴は嬉しそうとは到底思えない表情を浮かべて


「ほ、他にもたくさんっ可愛い芸者さんや綺麗な芸者さんはいますよ?」


と言ってきた。



―――何それ。


謙遜?
私なんか…と彼女は思うような気はするけど、そういう意味ならまだあれだけど。

僕の気持ちは迷惑ってことはないよね?


総司の顔が僅かに引きつったのだが、千鶴はそれには気付くことはなかった。
総司はすぐに表情をいつも通りに戻し、笑顔を浮かべて『気に入るのはその子だけ』と言い切った。
実際、他の芸者も女性も目に入らないし、どうでもいいと思うからそこは自信を持って言えたのだが――


その言葉の答えでもある千鶴の総司を見上げてくる表情は、総司の希望に近い予測とかけ離れたものだった。
代わりに「可哀想」と訴えかけるような、同情めいた眼差しを注がれる。


……?
好意を持ってくれているなら、僕の希望通りの反応をしてくれる筈――
考えたくないけど違うのなら、申し訳なさそうに俯いたりされるんだろうし。
……この同情は何?

総司が望むのは、同じく好意を返してくれる反応だけ。
それ以外は受け取りたくない、とばかりに総司は不満を露に千鶴に言葉を吐いた。

「……何、その顔。何だか違うんだけど」
「……?違う?」


総司の言葉を千鶴も理解できないのか、千鶴は眉をくゆらせて戸惑いながらも一生懸命頭を働かせているようだった。


…戸惑っているのは僕もなんだけど、わかってるのかな……
大体、今何考えてるのか話してくれたらすぐにわかるのに、この子押し黙るから……


待ちわびてようやく出た千鶴の言葉は、またとんちんかんなものだったので総司は多少うんざりしながらも適当に返したのだが、その後。


「その人も、その…もしかしたら沖田さんのこと、好きだったのかもしれませんよ」


そんな言葉を一気にまくしたてるように口にした後、千鶴はしまった!というような表情をさっと浮かべる。
その変化を総司はすごく肯定的に受け取った。
元々物事を自分の都合良いように考えるのは得意である。

好きだということを総司に言うつもりはなかったのに、つい口にしてしまった態度だと受け取ったのだ。


…意地悪ばかり言う僕に、素直に好意を告げられなかったのかもしれない。

千鶴ちゃんなりの精一杯の告白なのかもしれない――


そう思うと、総司の尖っていた口がみるみる緩む。
ただ、告白してくれた割には、まだちょっと微妙な態度な気はするのだが。

こうして他愛のないことを話している事も楽しいと思わせてくれる千鶴が、やっぱり好きだと素直に思える。
思えていたのに―――

僕の可愛い芸者さんである「その子」を、千鶴はずっと自分だとわかっていないまま話を進めていた。
「その子」を「君」に総司が言い換えたことで気付いたのか、その途端その芸者は自分のことだろうか、とさっきとまるで違う反応を示したのだ。
つまり、食い違った会話を続けていたわけで。
伝わっていたと思っていた想いは、全く伝わっていなかったことになる。

……ひどいよね、僕のしたことよりよっぽどひどいと思うんだけど――

そんなことを思いながらまだ誤魔化そうとする千鶴に、ちょっと冷たく言ってやろうと思ったつもりだったのに。


「嘘吐きは好きじゃないよ」
「……嫌い、って言わないんですか…?」


……やりくるめられた気がする――

「だって、嫌いにはなれないから」なんて、意地でも言ってやらない。
普段鈍いんだから、こういうところも鈍くていいよ――

色々頭に浮かぶけど、言い当てられて動揺したのか「生意気」っておでこを小突くことくらいしか出来ない。
小突かれて笑う千鶴の姿に無駄にドキドキして、総司は慌てて話を戻した。


「話逸らさないの。言ってる意味わかってなかったよね」
「だ、だって仕方ないです。昼に沖田さんが…」
「僕が?」
「私のこと、面倒でつれて行きたくないって……それなのに、そんなこと考えられないです」。

千鶴の言葉に、総司は「考えられないってあのねえ、」と言いたくもなる。


芸者姿をした千鶴の可愛らしさに、あの巡察の時に告げた言葉はどれもその時の気持ちを素直に伝えたものだったのに。
その時に告げた言葉を、総司は一言一句違わずに覚えていたから…きっと千鶴も覚えてくれているものだと思っていた。


「可愛い芸者さん」と言えば、わかってくれるものだと思っていたのに――


総司のそんな気も知らないで、「昼間あんなことを言う沖田さんが悪い」と言われたら、いじめっ子もたまには傷つくのだ。
愚痴るように千鶴の単純さを罵ると、いつになく強気で返してくる。

……その生意気な口、塞いじゃおうか――と抗議してくる千鶴小さい口唇を見ながら、総司は溜息を吐いた。



……でも、これで―――



「これからは肯定的に考えられるよね」


知らないなんて言わさない。
伝わった証拠に、千鶴が意識しているのが総司にも伝わる。

自分は疎われていない、好かれているということがわかったのか。
千鶴の半身が無防備にすっかり気を許してくれたようで、総司はそのままもたれかかった。
緊張する肩は一瞬で、そのまま総司の頭を置かせてくれる。
もたれて伝わる千鶴の体温にすり寄って、総司は心地良さを感じていた。

もうちょっとこの時間を共有したくて。
二人でいる時間を引き延ばしたくて。
お酌をして、と頼んだ総司に……反則なくらい可愛い答えが返ってくる。


「……綺麗な格好も、可愛い格好もしてない雪村千鶴ですけど、それでも、いい……ですか――」



生意気で、僕を振り回す…面倒な可愛い子――



「うん、君がいい――」



芸者姿を見てじゃない、素の雪村千鶴を……僕は好きになったんだから――と総司は抱きしめる手を強くした。




弦月が二人を仄かに照らす中、満たされた想いで心をいっぱいにして――








***






おまけ





〜千鶴・総司〜





「…あの、このままじゃあその…お酌できませんよ?」
「うん、そうだね」
「お酒も用意しないとですし……」
「夜風がちょっと冷たくなって寒いからもうちょっとこのままね」


二人で廊下に寄り添うように月を眺めながら、時間はどのくらい経ったのだろうか。
くっつきあったまま廊下にいることに、もし誰かが急に帰ってきたりでもしたらまずいのではないだろうかと千鶴がそわそわしだしているのだが。

反して総司は落ち着き払ってこの状況を楽しんでいる。

あくまでお酒の用意をすると言って離れようとする千鶴に、総司は薄い口唇に笑みを浮かべて千鶴を見上げた。

「ねえ、ちょっとおかしくない?」
「おかしい?何がですか?」
「千鶴ちゃんは……潜入の時だけ芸者の格好をしました」
「はい」
「僕に守られながら、めでたく屯所に戻りました」
「はあ…」

何が言いたいのだろう?と千鶴は抱きかかえられたまま総司の事を見る。
少しわざとらしくお話のように語る口調に、素直に引き込まれていると……

「それなら、僕と君は夫婦ってことじゃない?」
「……はい?」

いきなり飛んだ内容に、千鶴は声を裏返してしまった。
どう考えたらそうなるのだろうか。

「だってさっきの君の言葉、求婚みたいだし。想いあった二人が晴れて自由になりました。その二人は……夫婦になるものでしょう?」
「求婚…っ!?ち、ちが…っだって沖田さんが、僕の芸者さんとか、お酌してとか。だから私こんな格好ですけどいいですか?っていう意味で…」
「だから、求婚でしょう。それ」
「お酌をしますよっていう、お話です!!」

不敵に微笑んだままの総司には敵いそうにないけれど、精一杯声をふりしぼる千鶴に総司はゆっくりと口を動かした。

「ねえ、ここは屯所だよ。置屋でもなんでもないよね」
「はい」
「置屋でもないところでこうして抱き合って、芸者みたいに着飾らない素の君が僕の傍にいたがって。僕もそれを望んでる」
「…………」
「一つ屋根の下で暮らして、こうして一緒にいる。もう夫婦みたいなものじゃない?」

総司の見たこともないほど甘く、優しい色を帯びた眼差しと言葉に千鶴はそれ以上言葉を続けられなかった。

白い顔に赤みがさした千鶴の顔を優しく一度撫でた後、総司の顔がゆっくり近付いてくる。
ぼやけていく輪郭に合わせてゆっくり瞼を落としていく。

口唇に触れたのは吐息だけ。

焦らすように吐息だけをずっと感じさせられ、どうしていいかわからず熱だけはともっていく。

不意にくすぐられるように指で耳の淵をなぞられて、びっくりしたのとくすぐったさとで思わず身じろいだ拍子に――口唇に柔らかな感触。


「君からしてくれた――」


嬉しそうに、得意げに意地悪な微笑みを浮かべる総司に、ずるいっと言おうとした口唇は今度は総司からしっかりと塞がれて。

何度も重なっては少し離れるたび漏れる吐息も全部全部が熱くて。




弦月の夜の夫婦ごっこ。


いつか同じ月の下、本当の夫婦となって――











END