『鬼さん、どちら…?』







「…というわけで、今年も節分を執り行う事になった。」

朝餉の後、片付けを終えた広間には平隊士のいない、幹部だけが揃った大事な会議のように見えたが。
シンと張り詰めた空気などどこにもなく、『節分』という言葉にのんびりした空気は聞く姿勢までも解くように広まっていく。

まあ、そんな事だろうとは思ったけど――

総司は軽く伸びをして足を崩しつつ、今年も鬼役は土方さんにしてやろう――などと考えていた。
表情には出さずにそんな事を虎視眈々と考えている所が中々にひどい。

「去年はさ〜確か、土方さんが鬼だっつんで新八っつぁん張り切ったのに、返り討ちにあってたんだよなあ」
「なんだとぉ!平助てめえ…んな事ばかり覚えてんじゃねえよ!おらおらっ忘れさせて〜〜や〜〜〜る〜〜〜っ!!」
「んぎゃあああああっ!く、苦し…っ首!首絞まってるし!!」

向かい側で騒ぎ出した平助と新八の隣で、斎藤が黙って座ったままなのが目に入る。

…鬼、斎藤君でも面白いかな。真面目に豆にあてられそうだしね。

などと更によからぬ事を考えていたのだが、そんな総司の様子を土方がどこか、余裕を湛えて見ていた。
その面白くない視線にずっと気付かない総司ではない。
何ですか、とばかりに反抗的な目を向けるも―――

「おいおい新八。本当に首絞まってんぞ。止めとけって。大体、お前が油断して腹に一発入れられたのは確かだろ?」
「あれは油断じゃねえ!鬼は逃げるのが筋ってもんだろ!?逃げずに手を出してくるとかありえねえよ」
「言いたい事はそれだけか、ああ?」

土方は総司の事など全く気にしていなかったように、自然に矛先を賑やかな三人に向けた。
その視線だけで人を殺せるように目を細める。
三人は「い、いやあ何も…」と誤魔化しながらも、ようやく口を一度閉じたのだが。

総司には土方の視線もそうだが、他にも少し気にかかる事があった。
鬼はまだ決まっていない筈。
節分は今日だというのに、土方はクジを用意しているようには見えない。
土方の傍らに遠慮がちに座る千鶴も、別に取り立てて用意をしようという気には見えない。

…というか、目が合わないんだけど?

自分が見ているのをわかってて、千鶴は意識してて敢えてこちらを見てくれないようにも思う。
ただの恥じらいなら、からかい甲斐があるし可愛いというものだが。
それとはどこか違うように思える節がある所に、
若干の苛立ちが募る。

「…副長、今年の鬼役はまだ決まっておりませんが――」
「ん?ああ―――そうだったな、今年の鬼は――」

斎藤の言葉に、何故か千鶴がふと顔をこちらに向けた。
土方の言葉を知っていたかのように―――

「総司にもう決定済みだ。以上――」
「はあ?」

はい、今日の朝議終わり。とばかりに切り上げようとする土方に、総司は副長に対してとは思えないほど、呆れた声を発した。

「なんで僕なんですか。クジも何もしてないのに僕に決めるとか、副長のすることじゃあないと思いますけど」
「クジはした。もう皆引いて、最後に残った2本を俺が引いて外れだった。だから鬼はてめえって事だろうが」

一年前に誰かが言ったような台詞である。

「…でも今、斎藤君は鬼がまだ決まってないって言っていたじゃないですか」
「昨日の時点では決まってなかったってことだ。俺が今朝引いて、自動的に総司に決まった。文句あんのか?」
「あるに決まっていますよ。僕はクジの存在自体知らされていなかったんですから」
「ほお〜…?てめえがそれを言うか?」

ヒクッと頬を引き攣らせながら、総司を睨み返す土方だが、総司はいつもさながらに飄々とそれを受け流した。
千鶴の態度が少しおかしかったのは、きっとこの事実を今朝方知らされたからなのだろう。
そして、それを聞かされた時の千鶴の様子を見ておきたかった――などと考える余裕が総司にはあった。何故なら――

「言いますよ。だって僕は鬼はしないって約束してるんです。その約束を違えることなんて出来ませんから」
「約束、だあ?また適当なこと言いやがって……」

千鶴が慌てて顔をこちらに向けているのがわかる。
総司の目の端に一気に顔を赤く染め、やめてやめて!とばかりに手を右往左往して落ち着きなくなった千鶴の姿が映った。

ああ、可愛いなあ…だから…からかうことを止められないんだよね――

総司の捻くれながらも、ど直球な愛情は、千鶴がやめて欲しいと思う行動に真っ直ぐに繋がっていってしまった。

「適当じゃないですよ。…ねえ、千鶴ちゃん?」
「・・・・・・・・・・・・・っあ、あああの…っ」
「約束、したよね?」
「………は、はい……」

君らにはわからない、僕と彼女だけの約束があるんですよ――とばかりに、総司が約束した事を見せ付ける。
羨ましいとか、何をしてるんだとか、そんな思いではなく、皆が思ったことは一つだった。

千鶴も、大変だな――と。

「……約束、ってお前、そんな事今朝は言っていなかったじゃねえか」
「…あの、すみません。ちらっと…思い出してはいたんですけど」

またくだらない事に巻き込まれそうだと思いつつも、千鶴には一応声を和らげて聞く土方に、千鶴は頭を上げられないまま消え入りそうな声で返事をした。
ところがそれに強く反応したのは総司だった。

「…ちらっと…ねえ…君にとって、僕とのあの約束は、その程度のものだったってこと?」
「い、いえ…っすぐに浮かびました!だ、だけど…沖田さんが覚えていないだろうなと思っていたし…それで…」
「黙っていたって事?…僕が、君との約束忘れる筈ないでしょう?馬鹿だね」

普段聞きなれない総司の甘い声に、千鶴以外の全員はぞわっとしていた。
こんなものをこれ以上聞かされてはたまらない―――

「とにかくだ!!何の約束をしてたかは知らねえが、んな勝手に決めた約束なんざ無効だ無効!!鬼は総司、わかったな――」
「わかりません」
「……てめえなああああっ」
「僕はいいんですよ、僕は。だけど僕が鬼をしたら彼女が悲しむんです。僕が…役でも振りでも逃げてしまうのが辛いって「きゃああああ大丈夫です!大丈夫ですから!!!」

お互いを想いあった二人が、密に交わした言葉というのは大抵他人が聞くと恥ずかしいことでしかない。
そんな事をあっさりと暴露された千鶴はもう泣きそうなくらい目をウルウルさせて、身体を縮こませていた。

その様子は総司がいなかったら、鬼の土方でさえも思わず「よしよし」と慰めてあげたくなるほどだった。

「大丈夫って何。僕が鬼をしても平気ってこと?」
「……本心は辛くても、お、大人ですから我慢しますってことです…っ」
「ええ〜」

ええ〜とは言いつつも、千鶴がちゃんと皆の前で本心と認めたことには満足したようで、総司はその後あっさりと鬼を引き受けた。
あまりのあっさりぶりに、土方は何かあるのではないか、と疑心暗鬼になっていたのだが。

とりあえず、総司こそ大人になれ――と皆が心の中で一致しながら朝議は終了したのだった。







「鬼は〜………どこだよ!?総司のヤツ放棄してどっか行ったんじゃね?」
「えらいあっさり引き受けてたからな…総司の野郎…畜生〜最初からする気なんてなかったんじゃねえか!?」
「いや……それはないと思うぜ?」

鬼を引き受けるなりそのまま広間を出て行った総司だが、その後どこにも姿を見せず。
誰に聞いても知らない。としか返ってこないので、普通真っ先に思い浮かべるのは「逃げたのでは」という所だが。

左之は自分の傍らに立つ千鶴を見下ろしてそれを否定した。
なんのかんのと千鶴が大好きな総司が、今日のような行事時に千鶴を置いて出て行くとは考えにくかったのである。

「…とりあえず、もう少し屯所内探せ。もし逃げてたら―――」
「わ、わかったって!土方さん顔!顔がすげえことになってるから!!」

イライラとそこら中に厳しい視線をぶつける土方に、平助がなんとかなだめようと声をかけてはいるが、やはり収まりつかぬ様で。
ドスドス!と廊下を踏み鳴らして部屋に戻る土方の怒りもわからないでもない。

クジで正当に決められた鬼役を(あくまで不正ではないと言っている)、最終的に引き受けたのは総司なのだ。
たまに不真面目な態度で叱責を受けることはあっても、自分の責務を放り出すようなことはしない。
それに、これは近藤が言い出したことなのだから、尚更サボることは考えられにくい。

それなのに、いつもあれだけ傍にいるのに、どこにいるのかわからない。
それが千鶴の気を落としていた。

「……・……」
「…千鶴、何もお前が落ち込むことねえよ。」
「…私が、私が嫌だって言い出したことなのに、ころっと意見を変えたから、怒ったのかもと思って――」

一年前、鬼役になった沖田さんに逃げられるのは辛い、そう言った後に喜んでくれた顔、覚えてる。
わかったよ、と言うように、口付けてくれたのを覚えてる。

朝、最後は笑ってくれてはいたけれど、怒ってはなくても、傷つけたのかもしれない――

千鶴の様子がどんどん落ち込んでいくのを見てられなくなった平助が、持ち前の明るい声で声をかけた。

「んな事ないって!総司最後はさ〜ニヤニヤ締まりない顔してたじゃん!オレ羨ましかったくらいだし!」
「……そうかな」
「おお!土方さんが殴りたそうに見てたよなあ…つか、重い…くそぉ〜早く出てきやがれ総司…どんだけ豆引き摺ってると思ってんだよ」

「…永倉さんの豆、去年より多いですよね」

二人の気遣いに千鶴は笑顔を浮かべて、そんな様子を先ほどからじっと静かに見守っていたのは斎藤だった。
何かを思案するように、さり気なく周囲の気配を窺う。

「…?どした、斎藤。何かわかったのか」
「いや。……左之。まとまって探すよりも、別々に探す方がいいと思うのだが――俺は、千鶴と探そう」

斎藤の言葉は、ただの思いつきではないように聞こえた。
何か考えがあってのことだろうと、左之は躊躇することなく頷いた。

「…了解。…平助、新八!このままじゃ埒があかねえから俺らは反対側探すぞ、おら急げ」
「反対って…この豆持ち歩けってのか!?」
「いつもの馬鹿力出せば問題ねえだろ、行くぞ」
「ほ〜い。じゃあな千鶴、見つけたら教えてくれよ!」
「うん。平助君もね」

三人の姿が揃って見えなくなると、斎藤は千鶴を促すように目で合図を送ってから、少し先を歩いた。
冬だからだろうか、沈黙はいつもより静寂を強く感じられる。

「沖田さん、どこに行ったんでしょうね…」
「……総司が決まった場所に留まっているならば、とうに見つかっているだろうがな」
「……?あの、それ、どういう――」

意味かと、聞こうとした矢先、斎藤が振り向いて何故か千鶴に豆を投げる姿勢をとった。

「え…!?斎藤さん…どうし…「鬼を見つけたから、豆を投げようとしてるんでしょ」

さっきまであれほど探してもいなかったし、出てもこなかったのに。
後ろを恐る恐る振り返れば、ちゃんと角をつけた総司がにっこりと悪気もなく笑顔で手を振っている。

「…っ沖田さん!どこにいたんですか…!?皆さん探して――」
「ずっと傍にいたけど?」
「ずっと…傍に…?う、嘘っ」

自分だけならともかく、斎藤、左之、平助、新八…それに土方だって一時は一緒に探してくれていたのだ。
それだけの人数をごまかせるとは思えなかった千鶴は、思わず正直に声をあげたのだが。

「嘘じゃないよ。まあさすがにあの面々にバレないように動向探るのは…難しかったけど、楽しいもんだね」
「楽しかったって……沖田さん、鬼役の意味、わかってますか…?」
「千鶴ちゃんの方こそ、わかってるの?」

答える気があるんだかないんだか――
そして今に至ってもまだ豆を投げようとしない斎藤に、千鶴はあっと何かに気がついたように顔を上げた。

「沖田さん斎藤さん、私皆さんを呼んできますね」

きっと、自分達だけで先に始めるわけには――と思ったのだろうと理解した千鶴は、そのまま三人が先ほど向かった方。
つまり総司の方へと近付く。
斎藤がそれを制そうとした時には遅かった。

総司が通り過ぎようとした千鶴を、腕の中にガッチリ抱え込んでいたからだ。

「いい子だね、…さ、斎藤君しかいない内に……行くよ―――」
「行くって、あのどこに―――っ」

千鶴を捕らえていた腕は、いとも簡単に千鶴自身を抱きかかえ、どこにそんな力がと思うほどに颯爽と斎藤から逃れようとする。
冬の肌を突き刺す寒さの中、自分を抱き上げる腕が、縋る胸が、見つめる視線が近くて、
こんな事をしては――と思う気持ちとは裏腹に、手は勝手にその首に腕を回す。

一層の近さに状況も忘れて、その温もりに浸る幸せを、放すことなど出来ず―――






「ふうん、気にしたことなかったけど、結構節分で盛り上がってるものなんだね」
「そうですね……」
「でも豆食べてもあんまり美味しいとは思えないんだよね、かと言って寿司を食べる程じゃあないし」
「そうですね……」
「じゃあ、甘いものでも食べない?僕はそれがいい」
「そうですね……っ!?」

そうですね、と告げた途端に、何故か千鶴は総司に乱暴に口付けされた。
公衆の面前で、きっと目にしてしまったのだろう人達がそそくさと、そっぽを向いている。

「……沖田さん…っ!」
「僕の話をちゃんと聞かないのが悪いんだよ。…いつまで気にしてるの?出てきてしまったのはしょうがないし、それに――」

総司は言いながらトン、と千鶴の肩に顎を置いて、すりっと顔を寄せた。

「嫌なら、拒めた筈だよ?」
「……だって、嫌だなんて、思える筈、ないじゃないですか……私だって、本当は…」

吐息ごと耳朶に届く逆らえない声に、千鶴は思い切ったように同じように顔をすり寄せた。

「嬉しいんです。たくさん、こういうの…嬉しいんです。ダメですって言いながら……すごく、嬉しくて…ないのは…寂しいし…」

そこまで言うときっと注目を集めているだろう町民の目から逃げるように俯いて。
次いで急いで総司から離れると、誰にも見せたくないような可愛い顔で心底困ったように呟いた。

「断るのだって、すごく大変なんですからね…っ沖田さん、わかってますか?」
「……千鶴ちゃんだって、それで僕がどれだけ我慢させられてるかわかってるの?」

はあ、と呆れたように俯いて手で覆う顔が、千鶴に見えていないといい――

余裕ぶって、からかって、触れて、千鶴と一緒にいて。
だけど隠しようもない衝動に駆られる時があるのを、自分だってわかってない癖に――と総司も言いたくなる。

「沖田さんは、我慢しないでいつも行動に移しているじゃないですか……」
「…あ、のねえ―――」

ぷぅっと拗ねたように上目遣いで見るのは本当に止めて欲しい。
冗談じゃない、我慢しないで行動してたらこうなるよって事を、今度教えなきゃダメだ―――

はああっと深い溜息を吐く総司に、千鶴はあの、と恐る恐る顔を覗きこんできた。

「すみません…えらそうなことたくさん…屯所に戻りましょうか、皆さんきっとカンカンですよね」
「いいよ、鬼の務めは果たしたから」
「……果たして、ないですよね?」

斎藤と千鶴のところに現れる前に、もしかしたらもう平助達には豆を投げられてきたのだろうか。
小首を傾げる千鶴に総司は額と額をコツっと合わせた。

「ねえ、豆まきって鬼にするものでしょう?…鬼はなんで、家にいるんだろうね」
「…………?」
「邪気を払うためとか言われてるけど、そもそも昔話とかで鬼が人の家にくる理由って何だと思う?」
「……?…えっと…金品とかを奪ったりとか…?」

千鶴の答えに総司はう〜んと言いながら、今度は鼻をこすりつけてきて。
あと少しで触れそうな気配に千鶴は思わずそれを避けようと軽く身じろぎする。

「若い可愛い娘を自分のものにする為に、来ているのかもよ――」
「……」
「どうせ鬼になるなら型通りの逃げる鬼なんてつまらないし、ということで…見事鬼は娘を連れ帰ることが出来ました」
「ふふっ何ですかそれ――」

総司の考えに思わず微笑んで、甘い息を漏らした瞬間、その息を辿って触れあう感触。
柔らかく触れた後、離れるのはもう一度触れる為。
零れた吐息は冬の外気とはまるで違って熱くて―――

それを辿ってまた口付ける。

触れる瞬間に訪れる言いようのない幸せを、お互いに伝え合う―――











END










真面目に豆まきしてない沖千verです。
この後屯所に戻ったら、みんなで豆まきもするのではないかなあと。

斎藤さんは沖田さんが何となくうろちょろしてる気配を感じていたのだと思います。
きっと千鶴が一人になったら出てくるのだろうなと読んで――の行動ですが。
ちなみに斎藤さんが豆を投げなかったのは、沖田さんが斎藤さんと沖田さんの直線上に千鶴が位置するように動いて、
斎藤さんに豆を投げさせなかったからです。

沖田さんのからかいって、全部を真に受けると大変だろうけど。
なくなると絶対寂しいと思うんです。
ダメですよ。って沖田さんを制しながらも…そのからかいに幸せを感じてる千鶴…そんなお話…になったかな^^;

沖田さんが我慢しなかったらこうなるんだよっていうことを教える場面を書きた……^/^