愛し日記




5




六月○□日


今日は待ちに待った沖田さんとの御使いの日でした。
御使い自体はさほど時間がかからずに、問題なく終わりました。
礼儀正しく挨拶をする沖田さん、屯所では中々見られないのでとても新鮮でした。

その後……本当はいけないことだと思いますが。
二人でお昼を食べたり御茶屋に寄らせてもらったり。
とても楽しかったです。
あの、合わせた着物……買えるものなら沖田さんに買ってあげたかったです。
とてもお似合いでした。

あと…………い、以上です。







初夏も終わり、蒸し暑くなってきたのか。
時折吹く風に余計と体温を上昇させられうっすらと汗ばむ陽気の中。

大人たちが陽光があたる日向を避ける中、子供達は楽しそうに走り回っている。

「それでは失礼します」

土方から言い付けられた使いも終わり、頭を下げて総司と千鶴と二人で玄関門をくぐり、その光にさらされる。
眩しさに目を細めながら総司が千鶴に顔を傾ける。

「終わったね、お疲れ様」
「沖田さんこそお疲れ様です……」
「ん?何」

じ〜っと総司を見つめる千鶴の瞳は、どこか誇らしげだった。
あまり見慣れない視線に、総司は少し居心地の悪さを感じるけれど、悪くはないもので自然に微笑みを返す。

「沖田さん、すっごく礼儀正しくて……お作法とかも、自然で。私はそんなに詳しくはないですけど……見ていて所作が綺麗でした」
「……うん、千鶴ちゃん。それ褒めてくれているんだよね?」
「はいっもちろんです!!屯所にいる時とは違う一面を見られて、ドキドキしました」

にこにこと罪のない笑顔を浮かべる千鶴に、総司はう〜んと口端を引きつらせる。

……いかにも屯所で僕が、そういうのとかけ離れてる、と思われているってことだよね――

それでも、彼女をときめかせたというのなら、と気を取り直して機嫌良さに今度は目を細めた。

「惚れ直した?」
「はい」
「直す余裕がまだあったんだ、僕もまだまだだね」

冗談なのか本気なのか判別つかないような、表面的な物言いでそんなことを言う。

えっと慌てふためく千鶴に背を向けて、先に歩を進めると千鶴が慌ててその背を追いかける。
大事にしたいけれど、それとは別にこんな風にからかうのも楽しいというのは変わらない。
とてとてと付いて回る千鶴見たさにした意地悪を止めて、その小さい手を攫うように掴んだ。

「千鶴ちゃん、お茶でも飲んで帰ろうよ。何か買い物でも……」
「沖田さん、もう怒ってないんですか?」
「ん?元々怒ってないよ。君が僕のことをもっと好きになってくれたのに、何で怒るの」

からかわれたと知っても、どうしたって勝てない笑顔を向けられる。
千鶴は顔を赤く染めながら、口で勝てない代わりに繋がったその手を思い切りぎゅっと握ったのだが。
それは反って喜ばしただけのようだった。

満面の笑顔で眼前に迫った総司の整った顔に、つい瞼を閉じそうになって。
ハッと我に返り、慌てて顔を逸らす。
総司の口付けはほどなく空振りに終わってしまった。
当然、千鶴の反応に、ひどいと抗議の目を向けてくる。

「何で?」
「だって……そ、外ですよ。しかもここはまださっき訪ねしたお家のすぐ脇で……」
「それが?」
「こんなことしてたら、恋仲だって思われますよ。しかも私男装してるし――」

手を繋ぐことも、あまりよろしくないのかもしれない。
本当は繋いでいたいけど、と未練のある目を重なった手に向けながら解こうとしたのだが。
やけにあっさり離してくれたと拍子抜けしてしまう総司の手は、いったん離れた後、強固に繋ぎ直そうと指を絡めてくる。

「外でまで隠すのなんて、馬鹿みたい」
「外だからこそ、隠さなきゃいけないような気がするんですが」
「手ぐらいいいでしょう。あっちにふらふらこっちにふらふらする、すぐ迷子になるどうしようもない小姓ですって顔しときなよ」
「どんな顔ですか!」
「こんな顔」

あっさり答えながら、千鶴の不意をついてわざとチュと音を鳴らす口付けを落とす。
なっ!?と顔を強張らせた千鶴にクスクス笑いながら、鼻の頭をぺろっと舐めて。

「ほら、早くおいでよ。手のかかる仔犬だね」
「さっきより扱いがひどくなってます…っそれに、沖田さんの行動の方が犬っぽいです」

もう、と思いながらも、警戒心が麻痺していくような幸せを感じて。
さしあたって物騒な気配もなく、ゆるやかな時間の流れを楽しむように千鶴は総司に付いて歩き出す。

「どこに行こうかなあ。千鶴ちゃん食べたいものある?」
「どこでも……沖田さんと一緒なら――」
「千鶴ちゃん――」
「でも寄り道して大丈夫なんですか?」

ころっと雰囲気を変える生真面目な千鶴に、総司はガクッと膝が折れそうになる。

「千鶴ちゃんさあ、もうちょっと不真面目を勉強しないとだめだね」
「……なんですか、それ」
「まあいっか。それってつまり僕が傍にいなきゃダメだってことだね」
「沖田さん、自分が不真面目だって認めることになりますよ」

最初に出会った時とは信じられないくらい心を許しあい、寄り添い歩く道。
その幸せを反芻する度に空がずっと高ければいいと思う。
淡く儚い夕闇に、まだ訪れないでと願う気持ちがある――





***




「沖田さん、屯所は……」
「そっちだけど、だって今帰ったらまだ時間勿体ないし。時間いっぱいまでブラブラ散策してようよ」

歩く時はずっと手を繋いだまま。
お昼を食べていなかったせいか、空腹を先に覚えて二人で目に付いた立ち蕎麦の屋台に立ち寄って。
一つのお蕎麦を仲良く分け合って食べた。
散策を続けながら、気になった店には立ち寄って。
総司の刀を見ることもあれば、千鶴の簪や櫛を見てみたり。
反物屋にも寄った。
お互いに合いそうな生地を選びながら、お互いにあてて見せ合いっこ。
どちらも似合っていて、いつかこうして普通に男女としていられたら――と漠然とでも夢を見て。

陽気の中歩き回れば喉は渇く。
茶屋に入って二人で出来立ての団子を頬張り、お茶をゆっくり飲んで。
そのまま座って暫く行き交う人を眺めながら、とりとめのない話をしていた。
袖の下でずっとずっと手は繋がれたままだった。

夕闇が空に侵食する。
そろそろ屯所に戻る為に方向転換しなければならないのに、総司が手で導くのは反対で。
今頃屯所で角を出していそうな土方に、心の中で必死に謝罪をしつつ、総司に引かれるまま京の夕焼けの中を歩く。

「碁盤の目みたいになってるから、ほとんど知ってる道ではあるけど……」
「そうですか?私はもう……一人で帰れる自信がないです」

きょろっと辺りを見回しても似たような風景ばかり広がっているような気がして。
つい後ろを振り返ってしまうのは、無意識に帰路を確かめようとしていたのかもしれない。

「そんなに気にしなくても、僕が覚えてるし」
「そうですよね。でもこっちの方、何だか人通りが全然ないし、家もちょっと人の気配を感じないというか…………」
「うん、静かだね」

でもそれがいい。
二人きりで誰にも気兼ねせずにこうして時間を過ごす。
そんな未来は自分が刀を持つ限り、はっきりとは見えては来ないけれど、ぼんやりとしたものでも、見えたらいい――

総司と千鶴の間を、少し冷えた風が肌に触れ、古びた家や新緑のにおいを微かに伝える。
だがその心地いい風に、千鶴の手がビクッと震えた。

じいっと総司が千鶴の顔色を窺うように、その瞳の色を濃くする。

「千鶴ちゃん、……もしかして怖いの?」
「え――怖がってなんかないですよ」
「そう、じゃあ手を離して歩く?」
「い、嫌です。そんなの、怖くなくても嫌です」

怖がってるか確かめようとしただけなのに、答えた言葉に心を揺さぶられる――

ああもう、と繋いだだけで少し離れた身体を引っ張って、体温を感じられるほど近くに呼ぶ。

「……僕だって離したくないんだから、正直に言ってよ。怖いの?」
「あの、実はさっきから白いふわふわしたものが見えて……それが揺れて……あの――」
「幽霊?」
「沖田さん、言葉にしたら本当になりそうだから言わないでくださいっ」

千鶴はよほどその白い影が気になるのか、先ほどから総司の言葉しか捉えていない様子だった。

心配したり、照れていたり、ずっと千鶴ちゃんばかり見ているのに――

幽霊ともわからない、わけのわからないものに邪魔される。
せっかく二人きりなのに。

「全く、いっつも言ってるよね?僕だけ見てって。何変なものに気を取られてるの」
「え――ちょっと沖田さん!そっちは…っ!!」
「幽霊でしょ、文句言ってやらなきゃ」

棘の含んだ声に、拗ねているのがわかる。
こうなったらもう聞いてくれない。
怖がる千鶴ごと、ずるずる引き摺って千鶴が嫌がる方向に進んでいく。

「あ、本当だ。垣根の向こうに確かに白い影がちらちらと見えるね」
「っ!!」

千鶴はもう幽霊だと信じきって、総司の袖に顔を擦り付けて前を見ないようにしていた。
そんな千鶴の頭をよしよしと撫でて、大丈夫だよ、僕が斬ってあげるから。と見当違いな事を言い出す始末に千鶴は「止めてください…」と弱った掠れ声をあげる。
それでも進むことを止めないで、その垣根を掻き分けてみると――

「これ、花――?変なの。見たことないけど……」
「え、花?」

総司の言葉に安心したように千鶴が顔をあげた。
よほど怖かったのか目元が赤くなっている千鶴に気付き、総司は申し訳なさそうに目元を指先で優しくなぞる。
その優しい手つきに千鶴にも自然に笑顔が戻った。

「これなんだけど。白いものの正体」
「本当ですね、これ……葡萄、ですね」
「葡萄?これが?」

並んでいるのを見たことがないわけではないが、白いものがいっぱいついているこれが葡萄……

「千鶴ちゃんよく知ってるね」
「ふふっどうしてこんなところにあるんでしょうね。一株だけ……みたいだけど」
「京でも実はなるの?」
「花が咲いているし……多分――味はわからないですけど」

沖田さんに強く引っ張ってもらえたおかげで、珍しいものが見れました、と千鶴は笑みを含んだ声で御礼を言うと、嬉しそうに花に触れている。
触れていたかと思うと、急にその花を摘み始めた。
一つ一つがとても小さな花。
総司は身を屈めて、千鶴と同じように一つの花を摘む。
別段感嘆するほどでもない、花だと思うのだが――

「千鶴ちゃん、こんなの摘んでも飾りにもならないと思うけど…」
「違うんです。こうして花を摘んだ方が、美味しい実が出来るんですよ」
「そうなの――」

それにしても、この花全部摘む気だろうか?
どっちみち千鶴がそちらにばかり気を逸らして、面白いとは言えない。

…僕としてはもうちょっと実のある時間を作りたいんだけど――

やんわりと「つまらない」という雰囲気を醸し出す総司に気が付いたのか、千鶴がようやく腰をあげる。

「すみません、つい……」

謝っているのに、千鶴は何故かはにかんで顔を赤らめた。
その不一致な仕草に総司は首を傾げて、先を促すようにじっと見つめる。

「美味しい実がなったらいいなって……また沖田さんと来れたらなあって」

肩を竦めて、そんな小さな願いを最大級の幸せのように語る千鶴に、胸の奥が甘く軋む。
触れたい、欲しい――たまらなくその衝動を突き動かす、僕だけのもの――

「うん、また来よう――」
「はいっ!甘いといいですね」
「……花を摘むと、実は美味しくなるんだっけ」
「はい。そう聞いて――」

ふわっと冷たい風の中に温かい吐息を感じて。
優しく口付けられた後、動けばまた唇が触れそうな距離で、熱を伴った声が囁きを落とす。

「花、ここにもあるね――」
「ふっ……んっ――」

優しく触れてあげたいのに、欲する気持ちがそれを乱して。
荒々しく口付けては、その吐息すら飲み込んで、深く何度も交わるように。

息を求めて漏れる吐息が熱い。
僅かに離された互いの口唇は小さく喘ぎ、その熱い息を互いに伝え合う

「摘ませてね――」

熱い唇が押し当てられて。
お互いの熱だけを感じるように、幾度も重ねられて漏れた吐息に濡れる甘い音が響く――
甘い、熱くて、蕩けそうな――

長い蜜を絡めたような口付けの余韻もまだ消えぬ中、見上げて伏せられた睫の奥の翡翠が、これ以上ないくらい甘い色を帯びて、千鶴を優しく見つめる。

「本当だ、甘い――」

掠れる、その声こそが甘くて。


実を求めるようにまた、寄せ合う花――













6に続く