愛し日記





3





六月□日

今日は一日雨でしたが、皆さん普段と同じように稽古をしたり巡察をしていました。
午後のお茶は仕事で忙しい土方さん以外は皆さん揃われて、賑やかなお茶となりました。
土方さんに頂いたお菓子はとてもきれいで美味しかったのですが、手に持って動いていたせいか、勝手場の中で気付くと二つその形が崩れてしまいました。
とっても残念です。でもどちらも美味しかったです。
……水牡丹の生菓子を、また食べたいな。

毎日毎日がとても楽しいです。
どこかにいる父様に、千鶴は今とても幸せです。と教えてあげたい。

……少しだけ気になることがあります。
沖田さんと一緒の時は大丈夫なのに、一人になるとつい考え事をしてしまいます。
考えると気持ち悪いというか胸がむかむかして……
これは何だろう?









今日は朝からぐずついたお天気。
広い境内で稽古をするわけにもいかず、蒸れた屋内での稽古に皆いつも以上に体力を奪われているようだった。
稽古が終わった後のお茶のひと時。
自然に揃った皆に、汗が引くように、と冷たい水で絞った手ぬぐいと、冷ましたお茶を千鶴は用意した。
その気配りに皆が嬉しそうに御礼を言いながら受け取っていく。

「あ〜千鶴ちゃんは気が利くよなあ!こんなこと、昔はさっぱりなかったぜ?いっつも蒸れた男のにおいで臭くてよ〜」
「一番そのにおいを放っていたのは新八、てめえだろ?」
「何だとおっ!!左之!てめえだって似たようなもんじゃねえか!!」
「どっちも変わんねえって!でも本当に千鶴が来てからさ、こういうのが当たり前になってきてさ、なんかいいよな〜」

二人のやり取りに加わりながらも平助が千鶴を振り返る。
平助に同意したのか、左之と新八も「だな」と、一息おいて、美味しそうにお茶を啜っている。

3人から少し離れたところで静かにお茶を飲んでいた斎藤も「美味い」と一言だけ漏らしてくれる。

「ありがとうございます。そうおっしゃってくださると嬉しいです」

盆を抱えたままペコっと頭をさげる千鶴に、皆が目を細めた。
そんな中、一人だけが不満を口にする。

「手ぬぐいも嬉しいし、お茶も嬉しいんだけど、物足りない。口寂しいんだよね、何か甘いもの…」
「総司、欲しいなら自分で取りに行け」
「疲れて動けない」
「ならば諦めるんだな」

フッとそのまま、何事もなかったかのように千鶴の淹れたお茶を飲む斎藤にフンと横目で睨んだ後、別人のように千鶴に笑顔を向けた。

「千鶴ちゃんはわかってくれるよね?」
「はい、大丈夫です。用意していますよ」

にこっと微笑み返して別の盆に乗せて用意してた茶請けを、皆の前に出す。
何故か総司は微妙な表情なのだが、後の四人は素直に喜んでくれているようだった。

「さっすが千鶴ちゃん!用意いいよなあ〜至れり尽くせりってやつだな」
「オレ、この水まんじゅう!!」
「がっつくなよ、平助…ったく。千鶴が選ぶの先だろうが。千鶴、ほれ、今のうちにどれ食いたいか言えよ?」

左之が千鶴に一番に、と菓子を向けるも、千鶴は滅相もないとふるふる首を振った。

「お客様に頂いたお菓子を、土方さんがみんなで頂くようにってくださったんです。だから私は……」
「では、選ぶといい。副長は千鶴に食べて欲しかったのだろう」
「え……?」

斎藤に優しく諭すように言われ、斎藤の言葉に左之も頷いている。

「そうだよなあ〜土方さんそういう菓子って前は中々食べさせてくれなかったよな」
「ま、屯所が貧乏だったってのもあるだろうけどよ。ま、いーじゃねーか!んな事より早く選んでくれよな!俺はもう決めたぞ!」
「ってそればっかりじーっと見てたら、千鶴が気遣って選べないじゃん!!」
「うるせえなあ〜自分だってすでにこの水まんじゅう選んでただろ!!」

ぎゃいぎゃい騒ぎ出す平助と新八に、左之があいつら放っておいて選べと笑ってくれる。
千鶴は小さく頷くと、遠慮がちに端にある小さな生菓子を手に取った。
手に取った見事な細工の生菓子に、斎藤が声をかける。

「それは朝顔か?」
「はい、きれいに作っていますよね」

食べるのが勿体ない、可愛いと手のひらの上にちょこっと置いたままにしておくと、斎藤がもう一つ別の生菓子を千鶴の手のひらに置く。

「…?」
「岩清水、ならば気兼ねせずに食べられるだろう」
「あ……はい。じゃあ、いただきます」

斎藤の気遣いが嬉しくて、岩清水の生菓子に手を伸ばそうとすると、ぽてっともう一つ生菓子が加わった。
一人で三つも頂くわけには、と顔をあげれば。
断ることなど出来そうにない顔をした総司が、千鶴の傍に腰を下ろす。

「……あの…」
「これは……よくわからないけど、あげる」

斎藤のように生菓子の細工を見て答えたかったのだろうが、何せ花の名前をそこまで覚えていなかった総司は口を尖らせている。
そんな様子に小さく笑いながらも、これでは頂きすぎかとも思ったのだが。
好意でもらったものだし、手のひらに乗せたものを返すのもどうかと思うし。
千鶴は迷いながらも受け取ることにした。

「……これ、水牡丹です、沖田さん。ありがとうございます」
「どういたしまして。で、どれから食べるの?」
「え」

何かすごい期待を込めた目で詰め寄られている。

……もちろん、大好きな僕からもらったものが先だよね―――?

そんな声がものすごく伝わる。
伝わりすぎて、千鶴は固まってしまった。

もちろん、総司のを先に口にしたいことは山々なのだが……

「お前は何を見ていたんだ。花の生菓子がきれいだと…食べるのを躊躇っていた千鶴に、花の生菓子を渡してどうする」
「花だろうが、岩清水だろうが、きれいさには変わらないでしょう」
「心情の問題だ。食べるに易いか難いか――」
「へえ、君が心情なんて気にするなんて、珍しいね」

……あああ、問題が大きくなっていく気がする――

さっさとどれかを食べればいいのだろうけれど。

自分のを食べたらせっかくの二人の気遣いを全て無駄にしそうだし。
斎藤のを先に食べるのが一般的な気もするが、間違いなく怒るだろう……
かといって、総司のを食べるのは憚られる。総司は喜ぶだろうけれど、そういうことで二人のことが漏れてはいけないし――

「ったく、お前らなあ。んなくだらねえことで張り合うなよ。ほらよ、千鶴」
「えっ……もぐ……美味しい…っ!……あ――」

二人の隙を狙って、左之が千鶴の口に小さい干菓子を入れてくれた。
口の中に広がる甘さに思わず喜ぶが、総司と斎藤の衝撃を受けたような表情を前にしてまた時が止まる。

「左之…貴様……」
「怒んなよ、斎藤。千鶴困ってたじゃねえか。千鶴、これで気にせず3つ食べれんだろ」

今の内に食っとけ、とばかりに目配せする左之に、千鶴は正直とても助かっていた。
みんなからはどれを食べたかわからないように手を丸め、一つ生菓子も口にする。

「左之さん……指、斬っとく?」
「止めろ!総司!!指掴むんじゃねえよ!!新八!平助!助けろ!!」

平助と新八が慌てて(ちょっと面白そうに)総司を取り押さえる。
そんな騒動を千鶴はもごもご生菓子を食べながら見ていたのだが、ふと斎藤が小さく声をかけてきた。

「千鶴も、あれでは大変だな」
「……あれって……」
「いや、何でもない」

・・・・・・・もしかして、気付かれたのかな。ううん、でも……わかるようなことは何も……

「千鶴ちゃん」
「っ!!キャッ!!」

あまりに急に近くに総司の顔が現れた為、千鶴は思わずその胸板を突き飛ばしたのだが。
そのせいで畳に尻餅をつくことになった総司に、千鶴は大混乱しながら駆け寄った。

「す、すみませんっ沖田さん!!大丈夫ですか!?」
「うん」
「どこも、痛くないですか?」
「平気」

突き飛ばされたのに、まったく機嫌が悪くなっていない。
むしろ先ほどより和らいだ表情の総司を千鶴は不思議に思いながらも起こそうと思ったのだが、総司はすいっと一人で立ち上がる。

「動いたら喉渇いた。お茶おかわりね」
「はいっすぐに!!」

言葉通りすぐに勝手場に向かう千鶴を総司はおかしそうに見送ったのだが、総司の背後から「いい子だよなあ」と声があがる。

「いやな顔ひとつしないでよ……にこにこ笑顔で向かったぜ?」
「男所帯にいるとなおさら、千鶴の細やかさってのがわかるな。あれはいい女になるぜ?」
「左之さんが言うと何かあれだけど…。オレもそう思う。普段気付かないことも結構気を遣ってくれるよな」
「…そうだな。千鶴の思いやりは素直に受け取れる」

恋人である総司の背後から、皆がしみじみと千鶴のことを称える。
そうでしょうそうでしょう、と自慢できる恋人に鼻を高くしていたのだが。

「千鶴ちゃんって江戸に決まった男なんかいなかったのか?」
「えっ!?オレ聞いたことないけど。そんな話……い、いたのかな!?そうだよな、いてもおかしく…ないのか!?」

特に深い意味はなく、ああいう子だったらいい縁談掴めそうだよなあよいう軽い気持ちで新八が発した言葉に、平助以外の一同は平静を保っているようにも見えるが、
実は皆かなり動揺していた。

「…そのような者がいれば、ここに居ることになった際、手紙などを頼もうとするのでは?」
「いや、新選組にいます〜なんて手紙、送れねえだろ。土方さんも許さねえ気がするし。でも……」
「「「「でも……??」」」」

やはりこういうことは左之が聡いと思うのか、皆が言葉の続きを真剣に待つ。

「千鶴の気持ちはどうあれ、言い寄られたことはあるかもしれねえな」
「ないよ。絶対、ない……っだってここに来た時のあの子思い出すと、男慣れしてませんって態度がすごかったじゃない」

出会う前のことはそういえばあまり聞いたことがない。
もしかしたら…と考えると総司の顔が不快に歪む。

「う〜ん、そういや裸でうろうろしてたら顔赤らめてたっけ」
「それ、今でもじゃない?止めてあげてよね」
「お、おおっ!」

キッっと鋭い眼光に睨まれて、平助はびくっと肩を震わせた。
そんな総司の様子を見て、左之がにっと不敵な微笑みを浮かべる。

「あ〜でも、千鶴も知らないところで縁談があった…っていうのもあるかもな」
「……縁談?」

はあ?と不躾な視線を向ける総司は置いといて、斎藤がなるほど、と頷く。

「……幕府にあのように信服を得ていた綱道さんならば、倅をぜひということもあったかもしれぬな」
「だろ?それにもしかしたら、綱道さん自身も千鶴を嫁がせるならこの男、とか決めてた奴がいたのかもしれねえしな」

もしここに、風間がいたら「それは俺のことであろう」と高らかに登場したかもしれない。

「……ええっなんか嫌だなオレ。なんか嫌だ!千鶴が顔も知らねえヤツに嫁ぐとか!」
「そう、だよなあ…」
「・・・・・・・・・」

皆が黙って総司に視線を向ける。
うるさい、とその視線を蹴散らしたいところだが、「そんなことある筈がない」と言い切れない。

そんなすごい空気の中、「お待たせしました、沖田さん」と千鶴が笑顔で戻ってくる。
一斉に向けられた視線に、千鶴は思わず半歩下がったのだが。

「千鶴ちゃん!」
「はい!」

声をかけるより早く押し留められた身体で精一杯総司を見上げた千鶴に、難しい質問が降りかかってしまった。

「君、決まった相手とか、いないよね?」
「・・・・・・・・・・・」

どう答えろと言うのか―――

え?内緒にしとかなきゃいけないのよね?
でもどうしてこんな思いつめた表情で聞いてくるのだろう……

総司の後ろから「こ、答えないぞ」とか「本当なのか……?」と皆も自分の答えを気にしているようだが。

「何で答えないの?縁談とか、すでに申し込まれたりしてないよね?」
「縁談……?あの、ないですけど」
「……本当?」
「はい、でも…あの……何故そんな話に?」

ようやく落ち着いたのか、茶を受けとった総司は「左之さんが言いだしっぺなんだよ」と文句を言う。
名指しされた左之はそんな総司に苦笑いを浮かべながら、千鶴に言った。

「いやな、江戸に縁談があってもおかしくねえくらい、千鶴はいい子だなって話してたんだよ」
「えっ!?そ、そんなこと……っ」
「あるんだよ。みんな納得して……勝手に想像して不安になってんだから」

そっか、それで……と千鶴はぶすっとした顔でお茶を飲む総司をちらっと見る。
いもしない相手に、嫉妬してくれたのかと嬉しくなる。

「私なんか、全然です。父様の仕事を手伝って家にいることも多かったですし」
「そうなのか?外で遊んだりとかは?」
「あんまり。たまに誘いに来られても……行き辛いというか」
「誘いってそれ……」
「あ、縁談とかじゃあないですよ!?一緒に散歩しようとか、お茶を飲もうとか。それくらいです」

…いや、千鶴それ立派な逢引のお誘いじゃ―――

「なんだ、誘われてるんじゃない。それならしとけばよかったのに。散歩もお茶も。今じゃあ出来ないしつまらないだろうね」

黒い、黒いよ笑顔が――と皆がドン引きの中、千鶴は一人恥ずかしそうに笑う。

「いえ、今が一番……私は楽しいです――」

みんなの前だからはっきりとは言えないけれど、総司だけを見て告げる千鶴に、その意味に、総司がバツが悪そうな顔をする。
少し空気が和らいだところで、平助がそうだよな〜とさらに和む声をだす。

「オレも、今が一番楽しいって思うぜ!恋愛とかはよくわかんねえけど……」
「そうだな〜平助にはそんな機会はなかっただろうな。おし、わからないことがあったら俺に聞くんだぞ!」
「新八っつぁんに聞くのだけは絶対嫌だー!!」
「何だとー!?」
「まあ、女が寄ってきたことなんか、見たことねえしな」
「左之まで何言ってんだ!!いつも俺の筋肉美に――「寄ってはいない」
「斎藤ーーーー!!!」

賑やかな会話が戻る中、総司が千鶴の袖をつい、と引っ張った。

「千鶴ちゃん。お茶、熱いのが飲みたいから今淹れてくれる?」
「あ、すみません。淹れ直しますね」
「ん、じゃあ僕も一緒についてく」

おいで、と先に部屋を出た総司の後を追うために、ちょっと失礼します、と4人に声をかけて部屋を出る直前。
まだその会話が続いていたのか、四人の気になる会話が耳に入る。

「斎藤だって、総司だってんなこと言うなら俺と一緒だろ!?」
「いや、…違うだろ。島原でも結構もててるし、寄ってくる相手なら斎藤も総司もいただろ?」
「くそ〜!!!」


***


「・・・・・・・・・・」
「どうしたの、無言だね」
「・・・・・・え?あ…」

勝手場に向かう途中、立ち止まる総司に千鶴は曖昧な笑みを浮かべた。

先ほどの去り際に聞こえた会話が耳に残って、胸の中がなんだか気持ち悪い――


「ちょっとぼ〜っとしてただけです。すみません」
「本当に?」
「はい」
「……昔誘われた相手を思い出したりとか、してないよね」
「してないですよ、沖田さんだけです」

総司と話していると、さっきまでが嘘のように心がふっと軽くなる。
少し顔を赤らめた総司が、「それなら何を考えていたのか」と尋ねてきて、どう答えようか逡巡するが、ふと気になっていたことを思い出した。

「沖田さん……私が突き飛ばした時怒ってなかったみたいですけど。あれって……」
「そんな事考えてたの?あれは……ほら、君が手に持ってる生菓子が一つだけ減ってるのが見えたから」
「え!?」
「僕のあげた水牡丹のだけ、なくなってたから」

見られていたのだ、とわかり恥じらいから眼差しを伏せた千鶴の腰がグッと強く引かれた。
そのまま、ふわっと足が廊下を離れどう動いたのか、気がつけばストンと部屋の中に下ろされる。
後ろでで障子戸をスッと閉めた総司の表情がふっと優しく緩む。

「僕が最初に、口寂しいって言ったの、覚えてる?」
「はい。だからお菓子を……」
「違うよ、こっち――」

温かい呼吸が近付いて、何度か交わしたのにまだ重なるたびに胸を甘く軋ませる優しい感触。

チュと音を立てて、頬に耳に、首筋にと散りばめられた後、もう一度愛おしそうに口唇に伝わる――


「みんなと話すのも楽しいけど、こうしたかったんだ――」

じっとその目で見られるのが恥ずかしくなったのか、千鶴の瞼を伏せるように瞼に口付けを落とす。

「楽しい時間を君にあげる、だから君も僕に頂戴――」




君が、今が一番楽しいって言ってくれるなら―――




ずっと僕が与えたい、与えられたい―――







4へ続く