『キミがいる世界』





12




「大体…っ……!!」

荒くなった呼吸に混じらせ、撫子はカエルを身につけた方の腕を抗議するようにブンブン振り回しつつ、声を尖らせた。
無駄に広いビル内に、走っても走ってもレインの場所に届かない気さえしてくる。

「レインが捕まるかもしれないって……思うのなら!どうして私についてくるの!離れてはいけないと思うの!」
「オレを連れ出した張本人がどの口叩いてんだコノヤロー!!」
「それはそうだけど……っ……はっ……」

一人で走りながら、左手にもどかしさをぶつけるように所構わず声を出す撫子に、通りすがりの研究員やアワーがぽかんと見送っているのだがそんなこと気にしていられない。
いや、目に入っていない。

「オマエがアイツに関わるつもりなら、ちゃんと知っとかねーといけないことだろ?いきなりあの場で捕まっているのを見たって……オマエはそこまで動いたのかよ」
「……動いたわ!動くに決まっているじゃない……っ」
「……そーかよ」

まだ告げていない事がある。
きっと、あの3人が揃う部屋で知るであろうその事だけは、自分の口からは告げられはしなかった。
レインにきっと告げられるであろう言葉に、撫子の心が壊れないことを願う辺り、自分もこの少女、今は成人の女性に好意を抱いてるのだとわかる。

……レイン、間違えんじゃねーぞ……って言っても、アイツ、間違えそうな気はする……けどな

悲しいくらいに、親友の取りそうな行動が浮かぶ。
カエルの身である、今は亡き身の自分には、表情の出ないことが助かったように感じられた。

「……ねえ、捕まったら、どうなるの?他の人のように管理してしまうつもりなの……?」
「……いや、レインはそうはならないんじゃねーか」
「そう、よね……ずっと一緒に研究してる仲間だし、鷹斗だって……」
「いや、逆だろーな。どーなるとは言えないけど、情だの挟む問題じゃねーとオレは思うぞ」

情にほだされて刑を軽くするような事ではないのは重々承知だから、撫子には下手に安堵させるような言葉はかけない。
カエルの言葉に、撫子の騒々しい足音が弱まるも、進む姿勢を保とうとまた強める。

「どうして……?だって、未遂だわ。私もまだ無事だし、有心会との事だって工作はしていたかもしれないけれど、実行されてはいない」

人を生き返らせたいという願いに始まった、神を冒涜する為の道を歩んだレインの話はつい聞いたばかり。
これからしようとしていた事であろう罪は、関係ない人をも巻き込むことも何とも思わない、非情なものだった。
そんな事はさせたくない、させない――傍にいて、私が――

そう、思ったのに。

カエルの言葉に、傍にいることすら許されなくなるような雰囲気が撫子を飲み込むように覆う。

「もし、未遂だけだとしても、オマエを傷つけようとしただけでキングにとっちゃ大罪だっつったろーが」
「……も、し?……どうして、だってあなたは知っているでしょう?レインはまだ、罪を起こしては――」

走ってきた勢いそのままに、固く閉じられたドアに体当たりするように止まる。
バン!とドアを叩き、開けてと主張した後の一瞬の静寂の合間に、信じられない言葉を聞く。

「……起こしてんだよ」

「……え?」

ぽそりと、たった一言が不安を熱し心を灼く。
真実を乗せて呟いたカエルに聞き返す間なんてなかった。

音もなく開いたドアのすぐ先に鷹斗が、そしてすでにその手を拘束されたレインと、そのレインの体を拘束する円の姿があった。
こうなっているかもしれない、とは予想していた筈なのに。
実際にそうなっているものを見るのと予想では、心を締めあげるものが違う。

「……随分と騒々しい音を立てて走ってきましたね。この防音の設備にも聞こえるほどでしたよ。あなたを危険に晒すレイン先輩が、それほど心配ですか?」

そうに決まっている、と。
そう告げようとしたのに、それをレインの言葉が遮った。

「それだけ、ボクの身を案じてくれたんですかねーっておやあ?カエルくん、いないと思ったらいつの間に撫子くんの所に行ったんですー?」
「……オマエはんな事もわからない位、余裕なかったってことだよな」

皮肉なくらい、いつもと似たようなやり取りなのに。
レインが自分を映す目の光がまるで違う――
撫子が何を知ったのか、内側の深い淵を覗きこまれるような気がして――

「撫子……」

まだ肩を上下させている撫子の姿に、鷹斗が苦しげに目を細めた。

「……鷹斗……レインを放して。レインだけじゃない、私だって……私が最初にお願いしたのよ。協力してって、だから……」

自分を気遣わしげに見つめる鷹斗に、その言葉は届くような気もした。
けれど、鷹斗はすぐにゆっくりと首を横に振る。

「それは…出来ない。ごめんね、撫子…君の願いは全部叶えてあげたいと思っているけど、……それが出来ないくらいに彼の罪は重いんだ。わかって…くれるよね」
「…お願い…バカなことなんて、私が絶対させないわ。自分の身くらい、自分で守る。守れなくたって自分の責任だわ」
「出来ないよ――君は自分の身を守れない。レインを自由にする事は、君はいつどんな時だって危険に晒されるっていう事なんだ――そんな事、撫子の願いだろうと叶えられない」
「それなら、私も捕まるわ。罪は、同じでしょう?有心会との手引きを頼んだのは私……「同じじゃないですよー?」

いつもの薄ら笑いを浮かべながら、言葉を遮断したレインの声は、本当にレインなのだろうか――と思う程で。
聞いたこともない声、見たことのない色のない瞳が、何をわかっているつもりなのか、と嘲笑うかのように射抜いてくる。

「鷹斗くんは相変わらずお優しいことでー……そういえば、撫子くんを撥ねた犯人の事も口に出すのを躊躇っていましたよねー?」
「レイン――それは……」

鷹斗が制するように口を挟むが、レインはその目を撫子に預けたまま、言葉を連ね続けた。

「そんな曖昧な言葉じゃ、彼女は引き下がらないと思いますよー?……カエルくん、どうして彼女に話してないのか、聞いてもいいですかー?」
「それを、オレに聞くのかよレイン。理由なんてわかってんだろーが!」
「わかりません……キミが話していてくれたら、こんな手間、かからなかったでしょうしー……」
「その手間が、大事だと思ったんだよ!!アホか!!」

涙なんて、出ない筈なのに。
そのカエルの声が涙声に聞こえて。

『起こしてんだよ』

小さな彼の呟きが、今になって頭が割れそうに鳴り響く――

「……話して。ちゃんと聞くわ。今までだって、あなたにちゃんと聞きたかったのよ、レイン――話してくれるっていうなら、聞くから――」
「…………殊勝なお言葉ですねー……カエルくんに、これは聞きましたかー?人体蘇生を、ボクはどうしても叶えたかった――でも、そんなの夢のまた夢です。実現する筈ないんです」
「……それは――」
「でも、鷹斗くんなら叶えられた――でも彼にはその気がなかった。それなら…鷹斗くんがボクと同じような状況になればいい――そうならないと、ボクの気持ちはわかってもらえないんです」
「そう、しようと……したんでしょう?」

だから有心会との手引きに協力をしてくれた。
私が危険になっても、誰が危険になっても……そう、カエルに聞いたのに、もう矛盾が出てきたことに気付く。

…・・・鷹斗には、その気がなかった――?
待って、だって、レインは……鷹斗の人体蘇生の研究の為に集められたのではなかったの――?

「しようとした、ではなく……したんです」

・・・・・・・・した?

「鷹斗くんの心には、幸いというか不幸にもというか、代え難い人がちゃんといました。それが……あなたです」
「………」
「ボクが、小学生のあなたに会いに行きませんでしたかー?まあ、覚えてはいないでしょうけど」

今じゃない、過去に。
ウサギとしてではなく、過去のレインが会いに来た――?

過去に、会って――鷹斗をレインと同じ状況にした―――

カエルに聞いた事で、レインの事を知れたように思っていた。
はまったと思ったピースは違っていて、本当の欠片をはめ込んだと思っていた彼のパズルが今、耐え切れず崩れ落ちたように思う―――

「ボクが、この世界を壊したんですよ――鷹斗くんじゃあない」

目の前に立つレインは、いつもと同じ視線の高さ。
そこには、申し訳なさも後悔も感じられない―――罪の意識など、心の奥底に固く閉じられて。

「そして、あなたも……撫子くん―――」

自分を撥ねた犯人は捕まって、でも、真犯人は見つかっていなくって――
そんな事をついこの間、鷹斗と話したばかりだった。

………レイン、が―――――

「目は、覚めましたかー?ボクを庇うなんて、至極ばかげたことですよー」

手錠に繋がれたままの手がついと動いて、撫子の左手にはめられたカエルをそのまま両手で引き取ろうとした。

「……っ」
「……撫子くん――」

そのまま、渡していたら、きっときっと、もうレインには近づけなかっただろう――
そんなのは嫌――

レインが何をしたとか、そんな事は考えてる暇はなかった。
ただ、レインをこのまま行かせない―――それだけだった。

カエルを奪われないように、必死に右手で押さえていた。
「こら!押さえすぎだろー!!」というカエルの声は、いつもよりどこか優しいものだった。

「そんなに……意気投合したんですかー?ボクに返すのが嫌な程にー……」
「嫌よ!!……私がこのカエルくんとずっと一緒だったら、あなたは嫌でも私に会いに来るでしょう!?」
「…………ボクの話を理解してくれてますー?」
「理解してるわ!理解してるから……もう!」

まだカエルを受け取ろうと控えたままのレインの手を、どこにそんな力が、と思うくらいにギュウウウウッと目いっぱい握り潰した。

「い…っ!!…………」
「そんな顔、出来るんじゃないの……バカはどっちなの!!レインにバカなんて言われたくない……っ」
「…………」
「いろんな事勝手に決めて、押し付けないで!……カエルは絶対、渡さないから……私は、変わらない――」
「…………キミ、は―――」

本当は、いろんな事がわからなくて、どうしていいかもよくわからなかった。
子供じみたこんな真似が、どういう結果になるかなんて考えてもみない、突発的なもので。

それでも、何を言われても傍にいたいんだと―――伝え続けなければとそれだけだった。
レインの親友とも約束した――
それに、真実を突きつけられても、複雑な思いはあっても一人にしようなんて、思えられる筈がなかった――

今、握り潰している華奢な手が、彼の手が愛しいのに変わりないことに、
傍にいて叱り付けなきゃいけないのに、どうにも出来ない事に涙が出てきて、悔しくて―――

「レイン、そこまでだよ。……ビショップ、レインを牢に連れて行ってくれるかな」
「ま、このままって訳にはいかないでしょうけどね……キングの仰せのままに」

カツカツと音を鳴らして、円がレインに近付く。

「……っ待って……!」

身を動かしかけた撫子に、カエルが「今は無理だ」と声をかける。
今は、という言葉に、じゃあいつならいいのか――と思う気持ちはあれど、それでもその言葉を信じられたのは彼が、レインの親友だからだろう。
それと同時に、握られたままだったレインの細い指が、一指ずつ撫子の手を逃れていく―――

「……大人しく、ご同行願えますか。レイン先輩」
「……もちろんですよー……もう少し、早く連れて行ってもらえた方が……助かったんですけどね」

ふいっと背中を向けて部屋を出ようとするレインに、撫子が泣きじゃくった顔のまま手を伸ばしたのだが、鷹斗がそれをやんわりと止めた。

「撫子……ダメだよ、レインはダメだ――辛い思いさせたってわかってる。ごめん……――」
「鷹斗……違うの、辛くないって訳じゃあないわ、だけど―――」

辛いのは、傍にいれないこと―――
レインを、牢に一人にしてしまう―――
……何か、機会があれば……ううん、作らなければいけないわ……

目がレインを捉えたまま撫子を、鷹斗が赤い王のマントごとそっと包み込もうとした矢先、

「…っおい!!レイーン!!オレ様が傍にいてやらなくても平気かー!?」

突然、出来うる限りの音声で張り上げたカエルの声が部屋を出ようとしたレインを引き留め、鷹斗の行動をも止めさせて。


「……なんですー?それ……そうですねー……3日くらいは平気ですー」
「……たまにゃ素直じゃねーか」

何気ない二人の会話に、撫子に寄り添うように立っていた鷹斗の顔が少し強張った。
じっと訝るようにレインの方に視線を向けた後、ビショップに連れて行くように目で促した。

「……撫子、部屋に送るよ」
「大丈夫よ、……勝手に戻るから気にしないで」
「そう………うん、わかったよ」

ちらっと鷹斗がカエルに視線を向けたのに、無意識に取り上げられまいと腕を固くする。

「この後、まだ調べものが多いんだ。君を暫く一人にしてしまうけれど……」
「…一人…?いいえ、一人じゃないわ、ね?」
「仕方ねーから付き合ってやっか」
「……そっか、……君は小学生の頃もこんな風に…レインのウサギと話をしていたんだろうね」

少し苦い微笑みを浮かべ、それじゃあと名残惜しみつつも部屋を出た鷹斗の姿が見えなくなると、カエルがポツリと呟いた。

「……そりゃ仕事も増えただろーよ。レインのヤツが爆弾落とすから」
「爆弾…っ!?何を言って……っ」
「声が大きいっつーんだよ!!……爆弾発言ってことだ、バカが言ってただろ?3日って……あれ、適当発言じゃねーってキングは気付いたんだろーな」
「……適当、ではないの?どういう意味なの?」

思わずカエルを抱えあげれば、ニヤっと含んだように笑ったような気がした。
次いで「ありがとよ」と紡ぐ声は、心を動かす真情が込められていて。

心というものがあるのならそれに違いないと思わせる…親友を思う、親友の声。









13に続く