『キミがいる世界』




10




窓は相変わらず、薄暗い世界を映している。
鮮やかな色合いなどが目に入らないこの壊れた世界をバックに、その体の緑を壁に預けてカエルが開かない目をこちらに向ける。
いや、正確には撫子が自分と向き合うように、とカエルを適当な位置に置いて向き合ったのだが。

いつもはおしゃべりなカエルが、何故か二人になってここに来るまで一言も話さず。
撫子は視線の高さをカエルに合わせると、ふぅと小さく息を吐いた。

「どうして黙っているのかしら?壊れたの?」
「……オレがそう簡単に壊れてたまるか、バーカ!これでも優秀なAIを組み込まれてんだ、……どーするか考えてんだ」
「確かに賢いわね、普通のお話じゃないってわかっているってことよね」
「アイツに聞かれちゃヤベー話なんだろ?」

本当にすごいと思う。
撫子が言葉を発して、タイムラグなど発生せずに流暢に言葉を返してくれる。
昔、レインが小学生の鷹斗にウサギを預けられそうになって誤魔化していたしゃべり方、あれがせいぜいの時代だったのに。
こうまで発展するものなのだろうか――

「おい、聞く気あんのかよ!!」
「あるわよ」
「即答かよ!んじゃぼさっとしてねーでオレ様の言葉をしっかり刻みこめよ」
「……ねえ、ちょっといい?」

閉じたままの口で話を進めるカエルを一度手にとって、僅かに口を開けてから戻して。
カエルの態度の違和感を、撫子は素直に尋ねた。

「さっき……ずっと黙ってどうしようか悩んでいたわよね、もういいの?レインのことを私に話して大丈夫だと、信じてくれたの?」
「何言ってんだよ。オマエに話すことなんて別に問題じゃねーよ。……話さなきゃ、アイツバカだから本気で止めてくれるバカもいねーしな」
「…………私は、そのバカになれるって思ってくれているってわけね?」
「もうなってんだろ!こう見えてオレ様は見る目はあるんだ」

何故だろう――
カエルがカエルに見えないというか、熱い、レインを思う気持ちのある友人と話しているような気になってくる。
いつ作られて、いつからレインと一緒なのかなんてわからないけれど――

レインという共通の事で真剣に向き合う二人に、傍目にはきっとわからないであろう、信頼が確かに在った。

「悩んでたのは別の話だ、そっちの方がオレ様にとっては問題なんだよなー」
「……レインの事以上にあなたにとって、問題なことがあるの?」
「おーとびきり面倒なヤツがいんぜー?まあ、今はオマエにアイツのこと話とかないとな。……もちろん聞くよな?」

一呼吸置いた後のカエルの音声は人工的なものなのに、妙に人たる声で。
撫子は自分の意思を伝えるように、ゆっくり深く頷いた。

「ええ。興味本位とかじゃない、軽い気持ちじゃない――レインのしようとしている事を知りたいの。きっと……あんまりよくないことだっていうのは感じるんだけど」
「……アイツが、なんでキングの側でずっと研究してたかわかるか?」
「何故って……鷹斗が、召集したメンバーにレインがいて、それで……」

鷹斗が召集した科学者・研究者達はレインの他にもCLOCKZERO内に今も残っているのだろうか、答えながらそんな事を頭の隅に思い浮かべた。
創造する喜びは、きっと普通の人よりももっと貪欲にあるであろう。
鷹斗は小学生の頃から、傍目に見ていてもすごい天才だった。
側で一緒に研究すれば、きっと得られるものは桁違いなのだろう――

「まあ、そーなんだけどな。アイツは集められたヤツらの中で人一倍、キングの研究に執着してたんだ」
「……鷹斗のように、目を覚まさせたい人が、いたから―――?」

『レイチェル』と呟いたレインの寝言はいつだって耳に残ってる。
思い出そうとしなくても、苦しいくらい耳に張り付いてる――

「……そーなんだろーな。事故で……レイチェル、名前覚えてるよな?……アイツの、妹だったんだ。最初は純粋に生き返らせたいって……それだけだっただろーけどな」
「……事故……そう、なの――……でもそれなら、今でも純粋にレイチェルさんの蘇生を願っているのではないの?」
「もしキングの研究が成功すりゃそりゃ……だけど今のアイツは生き返らせたいっていう思いだけで動いちゃいねーんだ」

レイチェルという名前の人が、レインの妹だという事実をようやく知り得て。
きっとレインも鷹斗のように、レイチェルにまた会いたい、そんな思いで動いているんだろうと思ったそんな撫子の気持ちを察したように、カエルがそんな生温い幻想を抱かせないように言葉を連ねる。

「アイツを絶望させて尚、時を刻み続けた変わらない世界を、バカにして、振り回して、歪ませる為に……ってことだろーな」

世界を歪ませるという言葉に、撫子は目を窓の外に向ける。
レインはこの世界に不満はないと言っていたけれど、でも――

「キングはオマエの目を覚まさせた、それは立派な人工蘇生への一歩だとアイツも喜んでた。当然だよな」
「早く完成させて、今以上に世界を振り回せりゃいいと思ってるんだ。アイツの願いどおりに世界は崩壊して、研究は見極めをつけるなんてバカらしいくらい進んで――」

カエルの話を邪魔しないように、撫子は必死に言葉を拾っていた。
それでも理解できないことが頭の中でうるさく主張するように山積みになっていくのに、わかってしまった事がある。

「……でも、止まった――研究は、何ひとつ進まなくなった。……そう、でしょう?」

この世界に自分が来るまで。
どれだけの研究を重ねてきたのかなんて想像も付かない。
けれど、今キングである鷹斗の傍に少なからずいた自分に、レインと鷹斗の決定的な違いがわかってしまった。

これ以上の研究を望まない者と、望む者との――


「オマエが目を覚まして、蘇生に繋がるような研究より何より優先して、キングはこの世界の安定を望んだろ?」
「事故に遭わなければいーとか、この政府による監視システムをオマエの意見も聞きつつ存続させたいだとか」
「……一向に研究に目を向けねーキングに、このままじゃ進まない、道は潰えるとアイツは焦れたんだ、だからオマエに――」

カエルの言葉に、レインの何を考えているかわからない表が一枚一枚剥がれていく気はするけれど。
レインが自分との間に引いた境界線を、より越えられないようにされてしまったような感覚に陥ってしまう。

「……私に協力をして、政府自体が壊滅しない程度の影響程度に、有心会のテロを成功させたかったって事…なのかしら――」

鷹斗の今している努力は無駄なのだと。
今すべきは、別のことなのだと目を向けさせる為に――それだけの為に――

「……アイツには、自分の目的しか見えてねーからな。それで負傷者や犠牲者が出ようと知ったこっちゃないんだろーよ…いや、むしろ――そうじゃねえと、キングには効果がない、位には思ってんだと思うぜ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」

人懐こい笑顔を浮かべた裏に、レインの仄暗い表情が見え隠れする。
撫子の膝を押さえる指が白んで――
かすかに震える膝を見据えながら、カエルは撫子の言葉を待った。


……アイツを救うなんて、そんなことは無理なのかもしれない。

それでも、自分が残してしまった親友をどうにかしたいという、どこか僅かにある希望を捨てきれずに、言葉を待つ。


絶望に閉ざされた親友を置いてきた自分には、止めることも出来ずレインのする事を見つめるだけ。
親友が過去に見ていた夢を思い出させた少女に、余計なことだとはわかっていながらも我慢できなかったお節介は、どんな未来を生むのだろう――

「……っ行くわよ」
「うおっ!おい、もっと丁寧に――」

撫子は思いもよらぬ行動に出た。
カエルを乱暴に引っ攫い腕にはめると、大股を気にせずにズンズン足を進める。
行先はレインの部屋に向かおうとしているのだろうか。

「あなた、知ってるんでしょう!?レインが有心会とどう段取りつけて、どうする気なのか教えて。止めないと……っ」

レインに何て言えばいいのかなんて、どうすればいいのかなんてわからない。
彼の心情に簡単に寄り添えるなんて、思ってもいない。
だから出来ることをする、止められることを止める。

わかりやすい撫子の態度は、親友の事で壁にぶつかって立ち往生していたカエルを引っ張ってくれる。

「……止めてくれんのか」
「当たり前でしょう!?……とりあえずレインと有心会の人と会うのは止めて、今の内に私だけでコンタクト取れたら…と思って。罠だって教えないと――」
「それでどーする気だ?一回機会を潰すくらいじゃあアイツは堪えねーぞ?繰り返すだけだろ」
「レインが繰り返すんだったら、その度に私が怒るわ。怒って止めて、させない。もっといい方法があるなら後からいくらでも考えるわ。今はそんな暇ないでしょう?」

カエルの言葉に、何も考慮せずに吐き出した撫子の言葉に、カエルは「ハハハっ!」と場にそぐわない笑い声を響かせた。
呆れたとか、そんなのじゃなくて。

「……それ、最高じゃねーか!」

自分が出来なかったことを、すると告げたこの少女に話してよかったと。
レインに聞かせたいと思ったからだ――


「アイツに説教してやってくれよな、つーことで回れ右だ」
「……?どうして?有心会の人に今の内に――」
「オレは最初にどーするか悩んでるっつっただろ?アイツ、今頃もう捕まってそーな気がしてよ……」
「……捕まる……?誰に―――」


ポジション・ルークであるレインを捕まえるなんて、そんなの、聞くまでもなかったけれど―――

まさか、という思いがカエルを問いただす言葉を紡ぐ。


「ビショップに呼ばれた時、チラっとオレも画面見たが、レインの工作が全部修正されてやがった」

カエルのの言葉を耳に流しながら、撫子は体を反転させると円のいる研究室に向かって駆け出した。

「オマエの身を少しでも危険に晒すようなこと、許すような王様じゃねーだろ」


言葉に弾かれるように

たとえ自分を思っての鷹斗を、悲しませることになるとしても―――










11へ続く