『キミがいる世界』




8




何が『嘘』なのか、どうして『嘘吐き』になるのか。

彼女は何を言いたい――?

何を知ってる――?

世界に絶望して、一つの夢を見始めた時から……どんな時でもその場を客観的に見て動くことが出来た。
鷹斗に怒りの感情を知らしめて、近付く奇跡への喜び以上の感情などなかった。
決して他の感情に突き動かされることなどなかった。

なのに、目の前の少女一人の流した一筋の涙に動揺している自分がいる。
影のように身近に、そんな自分をせせら笑われているような気がしたのに――

それでも指先は伸びていた。
涙を指先で掬い取り、同じ視線の高さの撫子をぼんやり見つめる。
思ったより優しく、目元をなぞるその仕草に驚いたのはレインだけではなかったようで、撫子もその仕草に目を奪われている。

撫子の涙は、とても温かかった。
暖炉のある、夢の憧憬を思い出させたそれに、触れた指先から懐柔されていきそうな感覚――

……戻れ

……こんなのは違う、元に戻れ、レイン・リンドバーグ――

指先に残る感触を消し去って、錯覚だと思わせるように右手を強く握りこんだ。
沈黙を破った声は、いつものボクの声――

「嘘吐きだなんてひどいですねーボクは結構撫子くんには誠実な対応をしてると思いますよー?」
「…………」

慮った面持ちが、瞬時に笑顔に変わったレインに、撫子はただただ、無言でレインの言葉を受け取っていた。
その沈黙がひどく居心地が悪い。
いつもなら茶々を入れてくるカエルが、何も言わずに黙り込んでいるのも余計に拍車をかけた。

「カエルくんもそう思いませんかー?」
「知らねーよ、オマエみたいなバカ、知らねーよ」
「……うわ、いつもながらひどい言われようですねー」

ねー撫子くん?と同意を求めるように目の前を見つめる。
涙は止まったようだが、何をするべきかわからず悩んでいた頃とは何かが変わったように思えた。
自分と手を組むしか道が残されていなかった、撫子の瞳の色とは違って、迷わず自分を見つめてくる。

「ああ、よかったです。涙止まったみたいですねーあのままキングにでも見られていたらボクの首、飛んでいたかもしれませんからねー」

大げさに身振り手振りで話しながら、レインは立て続けに言葉を連ねる。
そうしながらも、目の端で撫子の様子を窺いながら、神妙な眼差しが止むことがないのを認め早々に部屋を出たほうがいいと切り替える。
もう、用は済んだ。長居は無用だ、切り上げようと……撫子と部屋に戻る前のことを思い出したように口にする。

「そういえば、温室に行きたかったんですよねー今から行って来たらどうですかー?ボクももう退散するので――」
「っレイン――」

『なんですー?』

いつものように、そう笑って振り返ってくれることはなかった。
撫子は無機質に閉まって、二人を遮断したドアに溜息を漏らした。

「……同情、同類――」

レインの言葉、その表情。
ほんの僅かの疑問符と、寝言で呟いた名前が繋がった気がした。

人のことに詮索なんてよくない。
そうは思っても、介入していこうとしている自分に溜息を深くしながらも考えてしまう。

望まれてもいない、むしろ疎われるだけだとわかっているのに。
それでも自分から関わっていこうとしてしまう気持ちの奥にある、剥き出しの心を見つけてしまった。
躊躇いながらも、その気持ちにようやく触れる――

「……時の違う人を、好きになるなんてね。しかもレインだなんて、言ったらあっさりかわされそうだわ」

レインが鷹斗の傍にずっと居たのは、鷹斗と同じ事を考えていたからではないだろうか。
憶測ではあるけれど、レインも大切な人を失くしたのじゃないだろうか――と思えたのだ。
鷹斗と同じ括りにされて嫌悪を示した表情を思い出し、どうしてかを考えてはみるけれど……そう簡単に人の心がわかる筈もない。

この世界は異常だと思っているのに、不満もなく、それを維持しようとしている――
でも、撫子の有心会との橋渡しはしてくれる。
レインも、今何かしようとしている。
私を手助けしながら、自身の目的を果たそうとしている。

「あの時は……まあいいかと思えたけど……」

レインはレインで。私は私で協力出来るところまでは、と漠然と考え納得して手を取ったけれど。
自分にとってのレインの存在を認めてしまった今、それを放り出して考えることが出来なかった。
何故か、不穏を感じて胸がざわつくのだ――

「考えていたってわかるわけがないわ。自分で歩いて……探すしかないわよね」

CLOCKZEROに来た頃を思い出す。
あの頃はとにかく一人で歩いて、何もない成果に落胆しては最後に求めたレインに手を拾われたのだけど。

「…………」

撫子は部屋を出ていったんレインの部屋の方へと足を向けたが、はたとその歩みを止めてゆっくりと回旋する。
そのままある人物を探して廊下を駆けたのだった。





「カエルくん、キミ、何か知っていますよねー?」
「オレは何にも知らねーよ」

憎らしいほどハッキリ答えるカエルに、レインはいつもより乱暴にカエルの口をパクパクさせた。

「ボクの知らない間に、彼女に余計なこと吹き込まないでくださいよー」
「言ってねーよ。言っとくけどオマエが勝手に吹き込んでんだぜ?レイン」
「……ボク、が…ですかー?」

撫子の部屋を出てから、このように結構しつこく念を押されていたカエルは、そーだ!と事も無げに言い放った。

「ずっと夢見てなかったのに、最近は見てるみたいだな。レイン」
「……っ―――夢なら、10年前からずっと見てますよ」

答えながら、やはり前に何か寝言でも言ったのを聞かれたのだと悟る。

「その夢じゃねーよ。へらへら笑いながらツラそうな顔しやがって。無理しっぱなしだってことが、オマエわかんねーのか!」
「無理なんてしてないですよーカエルくんは少し気にしすぎです」

ベッドにうつ伏せになって身体の力を抜く。
彼女が何を知ろうと関係ない。
明後日の夜、全てが動き始める。そうなれば―――

……ボクがした事を知れば、撫子くんはもう懐いてはこない――

ボスっと枕に顔を埋めて、抱え込む腕に力を込めて。
ありもしない筈の葛藤が、レインを苦しめる――

『…こちらビショップ。レインさん今どこですか』

突然通信機が役目を果たして、円の声を耳に伝えて。
レインは自分を日常に戻すその通信に、どこかホッとした様子で答える。

「こちらレインー。今は部屋ですけどー」
『部屋ですけど、じゃありませんよ。こっちに来てもらえませんか?セキュリティに問題があるみたいなんですが、ぼくにも手が負えませんので』
「……セキュリティに――?それなんの防衛システムに問題が?」

……おかしい、ボクの施した穴はまだ、作動してもいない筈だ――
しかもビショップが手に負えないレベルの問題はそう起きるものじゃない。
脳裏に鷹斗の顔が浮かぶ。
こちらの行動に気付き、それを示したのだろうか――

『とにかく来てもらえますか。一応責任者なんですからたまには取り仕切ってくださいよ。話はこちらで説明しますので』
「はいはーい。今行きますよー」

表面上は全く動揺を浮かべずに返事をしながら、レインはすぐに円の元へと向かったのだった。










9に続く