『キミがいる世界』




5




『レイ、チェル――』


この間、拾ってしまったレインの寝言。
目を開いて、驚いたように自分を見上げた目。

見てほしくなかった一面だったのだ、と感じた。
だから、それ以上首を突っ込むことなんて、出来なかった。
過去、歩んできた道に何があろうと、それを無遠慮に踏み込むなんて…

今はレインのことより、考えなきゃならないことがある。
この世界のこと、過去の世界のことを――

レインのことより、鷹斗と向き合って――


「最近、レインと仲が良いんだね」

不意に耳に飛び込んできた言葉に、いけない、と頭を振って意識を戻す。
どこか寂しげに笑う鷹斗に、こうして目の前にいるのに言葉に集中できないことに、少なからず申し訳なくなる。
しっかりしなきゃと、息を吐いて。

「この世界のことを、色々教えてもらっているだけよ」

何でもないことのように、伝えた言葉に鷹斗は疑うようでもなく、そう、と相槌を打っている。
その様子に、レインと手を組むことを決めた日のことが脳裏に浮かんだ。

『ボクの識別コードは誰にも把握されていないんですよー』

鷹斗に信頼されているレインと、こうして手を組むことを心苦しく思わないわけじゃあない。
レインはなんとも思ってなさそうだったけれど…

「ねえ、…鷹斗はレインを、信用しているのね」
「レインを?うん、そうだね。レインに任せてること、ずいぶんあるからね」
「私の世話係もその内の一つ、そうよね」
「撫子…」

ちょっと困ったように微笑んで、ほかの事と君の事は別だよと言う鷹斗。
識別コードのこともそうだけど、別だと言い切る撫子の…体調管理や様子も、レインが担当しているあたり本当に信用されているのだ。

…円よりも、絶対的な信用を寄せられてる。
どうして、だろう?

一緒に研究をともにした、とか。
それだけじゃない何かが…あるのではないだろうか?

鷹斗に聞けば『レイチェル』という人を知っているのかもしれない――

「撫子?」
「――あ…ちょっと不思議だったの。レインって仕事をよく円に回して…サボってるみたいだったから」
「ああ、うん。そうみたいだね。でもここってところはちゃんと見極めてくれるんだ。」

慌てて取り繕った言葉に、素直に答えてくれる鷹斗の言葉に、そうなの?と笑って応える。
疑問系で返事をしながら、心の中ではしっかり頷いてる。

自分だって、レインのことを…なんだかんだ言って信用している。
最終的な目標が違うと言い切っているレインの、心の中まではわからないのに――

信じきって任せ過ぎるのは、性にも合わない。


「…ねえ、鷹斗。お願いがあるの」

一人で外に出たい―
そうお願いすれば、やっぱり困った顔を向けられた。
ダメだと言う鷹斗に、でも、と食い下がる。

「君を事故に遭わせた犯人は、まだ見つかっていないんだ」

9年前の事故。
この世界を壊すキッカケとなった事故。

…まだ、見つかっていない?

鷹斗が不安に縛られる気持ちが自分にも伝わる。
鷹斗が本気で探して見つかっていない犯人。

…どうして、そこまでして私を――

痕跡の残されない、奇妙な交通事故。
ただの事故じゃない、確実に自分を狙ったのだと…徐々に足元から恐怖が忍び寄る。
一人で出したくないという、鷹斗の気持ちに同調してしまいそうな気持ちもないとは言えないけれど、でも――

私の願いなら何でも聞くと言ってくれた彼に、情で訴えてみて、どうしても―と引き下がらなかった。
怯えていても始まらない。
それで萎縮しては、彼の作った世界を受け入れることになりそうで――

痛いほど向けられる鷹斗から私への気持ちに、訴えかけるように説得を続けて。
一日4時間という条件つきで許してくれた鷹斗に、それを許してもらうことへの等価交換。

近づく唇に、吐息を感じて。

間違ってる、と思うのに。
一度約束をしてしまったから、拒否できない。

触れた唇は驚くほど冷たくて――

10年我慢した彼に待っていたのは、こんなキス――
そう思うと悲しくて。

過去、教室で片思いしているんだ、と告げた鷹斗の瞳を思い出した。
その気持ちを、わかってしまえるように成長した精神が、余計に胸を痛くさせる

どうしてこうなってしまうのだろう

掛け違えたボタンは戻ることなく、時は刻まれていく――





コンコン――

鳴ったドアノックの音に、思わず背筋を伸ばした。

「開けてもいいですか―」

のんきな声に、のんきな笑顔。
いつもと変わらない表情で、レインはさらっと用件を伝えた。

「一人で出かけられるようになったそうですねー」

さも、よかったですねーと言わんばかりに告げられて、撫子は一瞬言葉を詰まらせた。

「…鷹斗に、聞いたの?」
「えーそうですよー。心配でしょうがないって顔でしたけどね」
「そうなんでしょうね。でも決まったことだわ。ただ…まだ今日はダメみたいだけど」

いつでもって訳ではなく、やはりすぐに出すのは無理なようで。
目下周辺の治安の強化をしているのか、少しだけ待っててと言われている。

「ま、そんな遠くはないと思いますよーなにせあなたとした約束ですから…守ろうと必死なようですしー」
「そうね。鷹斗が約束を守らないかも、なんて心配は全くしてないわ」
「ははぁ…」

撫子の言葉に何故かレインは含んだ笑顔を浮かべて、手にはめたカエルに同意を求めるように口を近づけた。

「ちょっとの間に、信頼関係が築かれていますねー」
「そりゃそーだろ、アイツはオマエと違って嘘はつけねぇしな」
「うわ、そんな事言っちゃいますかー」

まあ否定はしませんけどねーといつも通りに会話を続ける二人に、撫子は少し安心していた。

もしかしたら、鷹斗と交わした約束を…自由に出してもらえる為にした事を…
知られているのではないだろうか―

知られてどうなるわけでもない。
レインはきっと、どうでもいいことですよーと聞き流すだろう。

知られるのが嫌なのか、レインのそんな態度を見るのが嫌なのか…
黙って二人を見つめる撫子に、レインがふと視線を寄せる。

「ねえ、撫子くん」

ゆっくりした語り口に続けられた言葉は、笑って流せるものではなかった。

「彼が…いくらあなたの願いだからといって、あっさり許可を出すとは思えないんですよー」
「・・・・・・」


まだこの他愛のない会話が続くのだろうと思いながら、返事をしようとした撫子は言葉を発せなくなる。

「ボクもビショップも、キングのする事に反対なんてしませんけどー彼のあなたに対する心配性はお墨付きですし」

実際、一人で出歩かせても大丈夫ですよーと軽く放った言葉に、「無理だよ、だって…」と永遠に続きそうな心配っぷりを聞かされたことは何度となくある。
ビショップは撫子にお願いされたら何でも聞くんじゃないんですか、と聞き流していたが…

「ボクが聞きたいのは、キングと取引をしたんじゃないかと思ったんですよー」
「…っ!?」

すぐにそうだとわかる反応に、カエルがわかりやすいなーオマエとツッコんでいる。

「まあ、ボクとの取引が不成立にならないような取引なら、問題ありませんよー」
「…レインと手を組むことに、何にも問題はないわ」
「それならいいです。…まあ、すでに牌は動かされたので後戻りは出来ませんけどねー」
「ロクなことになんねーって言ってんのによ」

ブツブツ呟くカエルに、こら、とレインが黙りなさいよーとばかりにカエルのクチを動かして閉じる。

「…用件はそれだけなの?」
「はいーそうです。お邪魔しましたー」
「そう…」

背を向けたレインに、ホっとしたのなんて初めてではないだろうか。
とりとめのない会話をしながら、ドアに向かう二人をぼんやり見ていた撫子に、急にレインが振り返って目を向ける。

「・・・・どうしたの?」
「あーいえー…忘れ物をしたみたいですー」
「あ、検診?今するの?」

またこちらに戻ってくるレインに、今度は普通に笑顔を向ける。
聴診器をクルクル弄びながら、レインはすぐ傍まで来るとそのまま、頭だけを一気に寄せる。

「―――え?」

あと数ミリで触れてしまいそうな距離。
つい先日体験したこの距離に、今はレインがいる。
頭が真っ白な状態の中、レインの「これです」と短く告げられた言葉だけが響く。

一瞬、触れるだけの唇。
離れてようやく、何が起こったのかを理解して――

「レイン――っ!!何して…っ」
「いえーボクももらっておこうと思いましてー」
「・・・・知ってたの?」
「まー何となく。キングの考えそうなことですよねーそれならボクも君に…途中までは協力するわけですしー」
「こんなの、聞いてないわよ!」

もう!と真っ赤になってわめく撫子だったが、はいはいー聞かれちゃいますよーと、適当になだめられて。
「それじゃあ失礼しますー」と今度こそ振り向かずに部屋を後にするレインに、枕でも投げつけたくなる。

「もう…鷹斗もレインも、人のキスを何だと思って…」

ボスっと勢いよくベッドに沈めた身体は、起きているよりも心臓の音がうるさい。
朝も昼もない外の黄昏にいつもなら気を引き締めるのに、出来ない。

こんなことで浮き足立っている場合じゃないのに――それでも、嬉しい…


嬉、しい――?






「オマエ、わっるいヤツだな〜オマエとはもう取引成立してんだろ」
「まあ、そうなんですけどねー彼女はボクに…余りある対価を払ってくれる予定ですし」
「アイツこんな事ばかりだと…交渉する前にどこかに逃げるんじゃねぇか?」
「それならそれで…いいんじゃないですかー?」
「・・・・・バッカだな…行動と矛盾しすぎてんだよ」

矛盾なんかしてない。

ボクにとって大事な行動は、夢に向かってなすべきこと。さっきのキスに意味などないのだから、矛盾という言葉は当て嵌まらない。

なんでしたのかなんて、ボクは考えない――

考えたら、いけない――





お互いが自分の漏らした言葉を反芻し、その瞳が儚く揺れる。

想いの行き着く先など、きっとないのに――と











6に続く