『キミがいる世界』




4




別に用事なんてなかった。
でも、今どこにいるんだろう?って思ったら、レインが何をしているのか気になって――

仕事を邪魔したら悪いとは思ったけど、そうじゃなくて趣味の研究や休憩中なら傍に行ってもいいかしら?と思ったから。
そう思ったら足は部屋を出ててレインの姿を探す。
こうして彼の姿を探すのは何度目だろう?

見つけたら、はいは―い、何でしょう?と耳を傾けてはくれるだろうけど――

『なんとなく』で探していたという事を、レインには何だか言いづらいような気がした。
そんな深く考えることではないのかもしれないけれど、前には気にならなかったこういう事を気にするようになった。

「…まあ、レインは別に何も思わないでしょうけど…」

そうだろうなと自然に思えるのも、何だか癪な気分になってくる。

「それにしても…どこにいるのかしら?」

クロックゼロを全部見て回るなんて不可能だけれど、レインの行き先は大体把握してるつもりだった。
知っている顔に尋ねてみても、知らないと言われるばかり。
こんな時にすぐに連絡を取れる円も出かけているようでいない。
鷹斗には、聞きづらいし――

「…入った事はないけれど、場所はわかっているし…行ってみようかしら?」

楽しい事を思いついたように、翻す足取りが軽くなる。

レインの作ったヒューマノイドのお出迎えなんてこともあるかもしれないわね――

以前の自分には非現実な事を現実にしていそうなルークを思って、顔を綻ばせたのだった。





―――これは―――

少しだけ仮眠を取ろうと思った。
ベッドに身体を横たえた途端に、深い睡眠に意識を呼び込まれて。

夢なんて、最近は見ることなんてなかった。
眠りについた事すらわからない、起きれば変わらない黄昏た世界。

まだ自分ひとりでは叶いもしない夢や希望を、毎晩夢に投影していた時期に何度も見た夢はすっかり見なくなっていた。
夢を見ない事を、寂しいとは思わなかった、それでよかった――
懐かしむものにはしたくない―自分が取り戻すものだから――

最初はそれだけを思っていた。
けれど、歪んだ世界に身を置く事を心地よいと思うようになった自分には、あの夢は眩しいものだった。
目を開けた、自分の居る歪んだ世界にいることを、その夢は僅かとは言え、空虚なものにさせてしまうから――

夢は見ない。
歪んだ世界で、世界を振り回すことの出来る彼を見ることこそが、今のボクの夢だから――
禁忌に、早く手を染めて、もっともっと世界を歪ませてしまえばいい――

そんな自分に、昔見た淡い、温かい夢など見られる筈はなかったのに――




「・・・・・・レイ、チェル――」

どうして、ボクは今夢を見ているのか――
久しぶりに見たレイチェルは、変わらない笑顔を向けてくれる。
何も感じない世界で、何故か温もりを感じる気がして――

「・・・・・・どうして、夢を、見る?」

今のボクは歪んだ世界を望む歪んだものだと思う。
この心は、きっともう戻らない――そう思うのに、どうして今更――

パチパチっと火のくべる音がする。
レイチェルの後ろに見える暖炉の炎――
何もなかったように、炎を囲うようにレイチェルが座る。
ボクに何かを話しかけるのに、頭に入って来ない。

「何ボサっとしてんだ、レイン。身体、冷えるぞ?」

トン、と背中を押されて――
一歩暖炉に近付いたボクを背中から追い越して、レイチェルの隣に座り込むのは――

「なんで…どうして――」

キミまで夢に――

今は亡き親友が、人の姿でボクに手を伸ばしてくる。
レイチェルも同じように手を伸ばしてきて。
咄嗟に出しかけた手が震える――
手を取ってもいいのだろうか、わからない。

こんな夢を見ることの意味も、わからない――

手を置けなくて、そのまま立ち尽くすしかないボク。
早く、起きるんだ――
そう思った時に、「レイン――」とここにいる筈のない声がかけられた。

振り向くまでもない、彼女だ――

何度も見た夢は、過去、ボクの希望だった。
温かなものを取り戻す、それだけを願っていたボクの夢だった。
その夢に、何故彼女が出てくるのか――

「一緒に、行きましょう」

二人の手を取らなかったボクの震えた手は、いとも簡単に撫子くんにさらわれた。

ボクから大切なものを奪った世界が、戯れに見せた一つの夢――

私がいる―とばかりに、伝う指先にボクの闇が怯えるように揺れて、世界は暗転した――






「・・・・・・・あ、起きたの?」

黄昏た世界を感じさせる、無機質な部屋の天井にふと人影が顔を出して、こちらをまじまじと覗き込む。

「・・・・・・・な、にしてるんですかー…ここ、ボクの部屋ですよー?」

動揺して言葉が一瞬浮かばなかった。
どうして部屋に簡単に入れたのか――傍で転がって黙っているカエルに目を向ける。
認証キーでも教えたのだろうか――

「何って…レインを探してたら…寝てたから…起きるの待ってたのよ」
「それなら起こしてくれてもいいと思うんですけどねー」
「あなたがそれを言うの?レイン。今まで何度私の寝顔見られてると思っているのよ」

ふふっと未だ覗き込まれた状態で笑いかけられることに、些か居心地の悪さを感じて身体を起こした。
勝手にはやる心臓が、自分の動揺がいかばかりかを嫌でも知らせてくる。

「それじゃあボクはこれから…キミにいくらでもお返しされそうですねー」
「そうね、だからあんまりからかうとよくないのよ?」
「はあ…からかったつもりはないんですけどねー…そういえば、ボクを探していたんですよねー?なんでしょうか」
「え?それは…」

一瞬言葉に詰まる撫子に、ふぅと落ち着けるように息を吐きながら視線を向けた。
その呼吸を、溜息か何かと勘違いしたのだろう、撫子がバツの悪そうな顔をした。

「ごめんなさい、忙しかった?寝てるの邪魔しちゃったのかしら」
「…いえー邪魔してくれて助かりましたよー」
「…そう――」

どうして?と問い返されると思ったのに、聞かれない。
もしかして自分は、夢を見ている間何か…口にしたり態度に出ていたりしたのだろうか――

「……もしかして撫子くん、ボクの手を握ってくれたりしましたー?」
「…っし、しないわよ!見てただけ…」
「そうですかー残念です」

実体のおこされた感覚が夢に影響したのかもしれないと思ったのだが、違う――
それなら、ボクがあんな夢を見たのは――

珍しく撫子を前にしながら、自分の考えにふけったまま撫子にじっとまなざしを注ぐレインに、今度は撫子の顔がほんのり赤らめられた。

「…なんとなくよ」
「・・・・・・・・はいー?」
「だから、なんとなく…レインを探してたの」
「ああ…なんとなく、ですかー…なんとなく、ねー?」

笑って、軽口で流して、何も考えなくても穏やかに切り返してきた自分が、どこか覚束ない。
ボクもありますよーと、簡単に言えない。

「…お茶にでもしましょうかー」

のそっとベッドから降りて思案気に部屋の奥に進むレインを見ながら、撫子が置き去りにされたカエルを手に取った。

「珍しいわね、レインがあなたを置いてけぼり」
「…まあ、いーんじゃねーか?いっつも一緒なのもどうかと思うぜ?」
「そう?…ねえ、レインやっぱり…怒ってるのかしら?」

部屋に入ったことじゃない。
きっと、知ってほしくない事を、垣間見てしまったのかもしれない自分に――

「部屋に入れるようにしたのはオレだからなーお前が気にすることじゃないんじゃねーか?」
「…でも――」
「オレは――よかったと思ってるぜ?」


アイツのする事に、反対なんてしない――
生きて、傍にいることが出来なかったオレはただ付き合うだけ。
だけど、コイツは違う――

暗く沈んだ親友の心の波に、温かな波紋が起こった――

「ま、気にすんなよ!あんまり神妙にされるとかえってウザいしな!!」
「言うわね、もう…」


――背中の向こう側、カエルくんと彼女のやり取りが行われてて。
ああ、カエルくんはめるの忘れてたんですねーと気付かされる。

鼻腔をくすぐるコーヒーのにおいが、部屋を満たし始める。
温かいコーヒー、当たり前の温度に何故か手が止まる。

いつの間にか二人で飲むことが増えている。
まるで、傍にいることが自然であるように――

ない筈の温もりを、見つけ出しそうで――


きっかけは夢――

キミのいる、夢――








5に続く