『キミがいる世界』









――君のいない世界なんて、いらない――


これはそうなった者にしか、わからない。
暗くどこまでも深く自分を落とす感情に、抗うことさえ出来ぬまま。
時は過ぎ、この怠惰な感情に適当に身を任せて。

でも、見つけた。
ボクの無の世界に、再び色がつく。

彼なら、彼なら――

彼、鷹斗くんはボクの言葉を一蹴する。
怒りを覚えて、どうしようもない怒りにかられて、それでも――
不確かな希望に身を投じる気なんて、それでも湧かなかった。

なのに――

君に会った。
ボクと出会ってしまった。

その時、決まった。壊れる世界への破滅への序曲が鳴る。
不条理な世界に絶望して、その世界を変える為に――


言葉が重なった。

そうしたくても出来なかった、ボクの言葉に彼が同じ言葉を重ねる。

ようやく、ボクの時間が動く――





「レイン、彼女の様子はどう?変わった事はない?何か出来る事があれば――」
「今のところ奇跡的に何もないですよー気になるならキング自身の目で確かめてください」

何度同じ会話をしただろう。
そう答えても、いや、いいんだと言われるのもわかってる。

「…いや、いいんだ。今は彼女も一人にして欲しそうだし…」
「・・・そう、ですかー?そんなこと言ってたらいつまで経っても、このままだと思うんですけどねー?」

大概同じ会話を毎日させられる事に、多少の不満も込めながらキングである彼に言葉を向ける。

「うん。そうだね…でも、まだ…急ぐ事はないんだ。撫子は今、ここにいるんだから――レイン、くれぐれも撫子のこと…頼んだよ」

自分を納得させるように、言い聞かせるように言葉を発した後、鷹斗はその場を後にする。
同時に反対方向に足を向けたレインだったが、その足を止め、鷹斗の背中を振り返った。
その目には感情が込められていない。

「・・・・・ここに、いるんだから―ですか」


眠ったままの撫子を起こしたことで、彼は満足してしまったのか。

今は、ひたすらに目を覚ました撫子のことを気にかけているばかり。

「・・・・・・まあ、気持ちは…わからないこともないですけどー」


たった一人の、世界の崩壊と比べてもその存在が重いたった一人が、ようやく――

それはきっと、想像もできないようなものだろう。
でもその感情の全部を、わかる筈がない。
普通の人間には、そんな事起こりえないのだから――

「・・・・・・・・・おやあ?」

見えなくなった背中に見切りをつけて、再び足を進めれば、このタワーには似つかわしくない服を着た人の影。
レインは人が変わったように明るい声を出して、左手につけたカエルを視線の高さにあげる。

「あんなところで何をしているんでしょうねー?」
「知るか!放っておいていいのかよ、レイン」
「んーいいんじゃないですかーここなら安全でしょうし」

先ほど、くれぐれも頼むと言われた事などもう気にしていないように。
にこにこ笑顔で撫子の背中を見送ろうとしたレインに、「オレは知らねーぞ!」と呆れた様子の相槌が打たれたのだが。

「・・・・レインっここにいたの」

こっそり見送る筈だった撫子が、きょろきょろと動かした視界の隅にレインを捉え、駆け足で向かってくる。

「やあ、撫子くんじゃないですかーボクに何か用事が?」
「用事が?じゃないわよ。レインって本当に忙しいの?今ここにボーっと立っていたように見えたけど」
「そりゃあボクだって、いつでも動いてる精密機械ではないんですから…休む時くらいありますよー」
「…立ったまま休むの?」

ふふっと可笑しそうに応じた撫子の言葉の調子が、穏やかになる。

「お前いつもテキトーなこと言ってるから、ツッコまれてんぞ」
「いつもテキトーとはひどいですよーボクはいい加減なことは言いませんしー」
「ウソつけ!」「嘘ばっかり」

撫子とカエルの言葉が重なって、またふふっと可笑しそうに顔を向けた表情は、だいぶ変わった。
この世界に来て、目を覚ましてからよりも、ずっと柔らかくなった。
警戒するような、剥き出しの感情を目に込めることがなくなった。

「嘘じゃありませんよー立ったまま眠るのはボクの特技なんです」
「・・・・え?そ、そうなの」
「はいー何なら今寝てみましょうか?そしたら撫子くん起こしてくれます?」

ボクも仕事があるので、ずっと寝るのは困るんですーと続ければ、信じたのか無言でコクコクと首を振る。
そういうところは、どこかまだ小学生の彼女を思い出す。

「じゃあ寝ますけど、キスして起こしてくださいねー?」
「・・・・・・・は?な、何言って…」
「朝の挨拶ですよ。してくれないとボクは起きられないのでー」
「・・・・う、嘘っ!!それならいつもは…どうやって起きるのよ…騙したのね?」

本気で怒ってはないけど、怒ったような素振りを見せる撫子の頭をカエルで軽く突つく。

「平穏も大事ですけど、こうして驚いたり笑ったりするのも…大事なことですからー」
「・・・・・・・・それは・・・」

嘘なの?本当なの?と撫子が続ける前に、レインが言葉を連ねる。

「ところで、ボクを探していたんですよねー?何かあったんですか?」
「・・・あ、そうなの。ミニッツの人が探していて…一緒に探そうと・・・」

部屋に篭もってばかりの撫子には、丁度よかった理由だったのだろう。

「キミがボクに用事があるわけじゃないんですねー」
「え、別に何も…」
「バッサリだなーおい!」
「ですねーボクには会う理由なんて、それ以外ないんでしょうねー」

探してるミニッツの者の許へ急がねばならないのに。
こうして他愛もない会話をしている自分が、少し可笑しかった。
顔は残念そうな色を漂わせたままのレインに、撫子が素直に慌てて答える。

「そんなことないわ。レインと話すと…今は一番落ち着くし…」
「ボクが…?これは…意外ですねー」

本当に意外だった。
自分なら、こんなよくわからない男…敬遠しそうだが。

「ええ。だって…あの頃のみんなはどこにもいない。円は…私の知らない円だし、鷹斗は先生だったし…」
「ボクも…ウサギと人間じゃだいぶ違うと思うんですけどねー」
「でも、口調は変わらないし。ずっと一緒にいた時のままだわ。話を聞いてくれるでしょう?今も…」

他愛ない会話だったのに、何故か頭が揺れるような感覚になった。
何も、何も知らずに…笑顔をボクに向けるキミは――

疑いもしないで、目の前の自分を見上げる撫子に、一つの面差しが重なる。

「・・・・・・ボクでよかったら・・いつでも聞きます・・・・じゃあ、ボクは行きますねー」
「レイン?」
「ああ、部屋に戻るんでしたら…その前にキングと会ってあげてください。最近キミの様子ばかり聞いて・・・仕事に身が入らないようなのでー」
「鷹斗と・・?・・・そうね。話もしなきゃ・・・」

お願いしますーと早口で言いながら、手を振って。
仕事に戻るレインの目にはすさんだ色が乗る。

「・・・・ボクなんかを信じて・・・馬鹿ですねー」

「…どっちがだ――レイン・・・」

誰にも聞かれないような独り言を、カエルがわかっていたかのように拾う。

ははっと力なく笑った後、眼差しを伏せて。

幾ばくか、二人の間には沈黙が横切った後、何でもなかったように普通に話して。


変わらない、ボクが望むものは――







2に続く