紅時










「少しの間、部屋を変えてくれるか?」

そう土方さんに頼まれたのはさっき。何でも会津の方から大事な方が屯所に来るらしくて。
泊まることになるだろうから、きれいな部屋をあけなければいけない、ということに。でも急なお客に対応できるほどどの部屋もきれいじゃなかったらしく(苦笑)、私の部屋を使ってもらうことになったのだ。

「ええと、これでよし」

もともと荷物はそんなにないからすぐにまとめられた。あとは、と傍にある小棚の引出しをそっと開ける。中に入っていたのは口にさす紅。蛤の貝を黒く塗りきれいにあしらったものの中に、紅が入っている。父様がまだ早いかなと言いながら、照れくさそうに私にくれたもので。
今は行方知れずな父様からもらった分、大事にしている。といってもここでは使う機会がないのだけど・・・

「千鶴ちゃん、準備できた?」

声と同時にいきなり襖が開いて顔を見せたのは沖田さん。

「は、はい!もう大丈夫です」
「そう、じゃいくよ・・・・ん?その手に持ってるのは…」
「あ、口紅です。父様からもらったんですけど。」
「そんなのつけてたことあったっけ?」
「・・・・・ここでは、ないです。」
「賢明だね、ちゃんと男のふりをして問題起こさないでよ」

言われなくてもわかってます!という言葉をグっと飲みこんで、はいとだけ返事した。
当たり前のように先にスタスタと行ってしまう沖田さんに遅れないように、急いで荷物を持って追いかけようとして・・・・ツンッ!え?あ!?「キャッ!!!」

ズドッ!!自分の裾を踏んで自分で転んでしまった…と同時にカラカラという音が…
あっ口紅が!転がって沖田さんの足元へ・・・
「お、沖田さん止まってください!」
「え?」

止まったと同時に沖田さんは口紅を踏んでしまっていた。しばらくお互い無言だったんだけど…

「あ〜もう何してるの?」
「す、すみません。」
「これ、片づけて、早くしてよね」

そう言って指さしたのは、割れてしまった口紅。自分の不注意が悪いんだけど・・・

「あの、沖田さんはけがされてませんか?」
「僕?このくらいでけがなんかしないよ・・・・君って本当に馬鹿がつくお人よしだね・・・」
「けががないならいいです。すぐに片付けます」

割れた破片を集めても、父様からもらったものだから捨てる気になれなくて。
破片をそっと紙で包み、荷物の中にしまって。
父様、大切にしてたのにごめんなさい。と心の中で何度も謝ってから、

「終わりました。すみませんお待たせして」
「・・・ん、じゃあ行こうか」

沖田さんについて新しい部屋へと向かった。ずっと無言で、待たせてしまってまた怒らせたのだろうかとも思って気にはしていたんだけど。部屋に着くなり「じゃあ、掃除がんばって」と言い去っていった沖田さんを見送ってから襖を開けると・・・・
うっ汚い〜・・・畳も水ぶきしなきゃ…
そんな状態だから気になっていたことも忘れてた。





一生懸命隅から隅まで掃除して、終わったころにはもう日も暮れていて。

「ふう〜だいぶきれいになったな〜」

ちょっと座ってしまうととたんに体が重くて立とうとも思えない。がんばりすぎたかな・・・
そのままうつらうつらと、瞼が重くなりかけたころ

「・・・・ちゃん」
「ち・・・・ちゃん」
「千鶴ちゃん!!」
「は、はい!」

慌てて顔をあげると、呆れた顔して上から私のことを見下ろしてる沖田さん。

「君、こんな時分に昼寝?もうそろそろ夕餉だと思うけど」
「あっそうですね、すみません、つい・・・あの、起こしに来てくれたんですか?」
「違うよ、そんなめんどくさいこと」
「あっ何か用事でしょうか?」
「・・・・・・」

沖田さんが私の問いに答えず、黙ったままついと差し出した手には、きれいな蛤。

「あっこれって…ひょっとして口紅?どうしたんですか?」
「前に街中で見回りの最中に、何かのお礼ですってもらったんだよ」
「何か?その何かのお礼で口紅を?」
「ああ、そういうのを扱う仕事の家なんじゃない?僕いらないから。」
「あの、私に?でも悪いです。」
「いいから、持っていても邪魔だし、受け取っときなよ」

そういって口紅を押しつけるように持たせたあと、沖田さんはすぐに戻っていった。

「どうしようこれ・・・」

もらったはいいけど、お礼にもらったって女の人にでももらったんじゃないのかな・・・だとしたら私が持っておくのってその贈った人に失礼じゃないかな・・・
なんだか素直に喜べず、そっと中を開けてみるときれいな鮮やかな赤。前に父様にもらったのはもっと朱のような色で、これはもっと大人にならなきゃつけられない気がする。それにものすごく高価な調度品のようにきれいに塗られていて。ますます、自分が受け取ってはいけない気がして憂鬱になった。


「千鶴〜!」
「あっ平助君、もうお風呂入ったの?」
「ああ、そんなことより今日さ、総司に何か贈り物もらった?」
「え?どうして?」
「千鶴じゃないのか?いやさ〜おれ今日見回りだったじゃない?そしたら総司がある店の中ですっごい難しい顔しながら貝とにらめっこしててさ!」
「貝?」
「うん、その店にも一応立ち寄って変わりないか聞かなきゃいけないから、総司が出ていくの待ってから店に入って。そしたら店主が俺らの顔覚えてるから、聞きもしないうちにいろいろ言ってきてさ」
「何でも贈り物で探してたみたいなんだけど、ものすごく必死に考えてて、店主もつきあうの大変だったらしいよ!てっきり千鶴かと思ったんだけどな〜」
「・・・・・へ、平助君。そういうことあんまり言っちゃダメだよ?特に原田さんとか永倉さんとか…」
「え?何で?」
「からかわれたら沖田さん怒るどころじゃないと思うの・・・」
「・・・・・・・・・そ、そうだな!!わかった!じゃあ、千鶴もこのことは忘れてくれ!じゃ!」

慌てて走り去る平助の後ろ姿をぼーっと眺めながら考えていた。
あの沖田さんがお店で選んでくれたんだ…私、ちゃんとお礼言ってないな…言わなきゃ。
店で悩む沖田を想像すると、なんだか微笑ましい。
今夜の私の見張りは確か・・・・・




りーりー・・・虫の音が静寂な夜を少しだけ彩っている。
見張りなんかいないんじゃないか、と思うほど人の気配も感じないけど。
意を決して、

「沖田さん」
「っ・・・・・・何、まだ寝てないの」

声をかけられたことに一瞬びっくりしたようだったけどすぐに平常どおりの熱のない声。

「あの、ちょっと入ってもらっていいですか?」
「は?」
「私が出ると問題あるので」
「・・・・僕が入るほうが問題あると思うけど」
「いいから!お願いします」

言いきってドキドキしながら待ってるとそっと音もたてずに襖が開いて、
「何で僕が君のいうこと聞かなきゃいけないの」と口をとがらせながら入ってきた。

「で、何?」
「あ、あの・・・これ見てください」

少し離れた所に置いてあった燭台を取り自分の顔の方へ持っていく。怪訝そうな沖田さんの顔が少しゆるんで。

「それ・・・今日あげたの?」
「はい、つけてみたんです。どうですか?せっかく頂いたから一度だけつけてみようと思って」

「つけるなら沖田さんには見せないとと思って・・・」
「今夜見張りって知ってたの?」
「知ってたから、今日つけました」

いつもより声の響きが優しいから話しやすい。そっと顔をのぞき見ると蝋燭の明かりのせいか、表情までも優しく見えて。

「あの、似あいますか?」
勇気をもって問いてみれば、きっと似合わないね〜とか言うと思っていたのに
「うん、似あってる」
あっさり肯定されて、なんだか沖田さんらしくない答えにちょっと戸惑う。

「千鶴ちゃん、今日あげたの持ってきて」
「あ、はい。」
沖田さんに手渡すと、沖田さんは人差し指でそっと紅をすくい

「こっち、向いて」

左手で顔を優しく固定されて、すっと唇に沖田さんの指が触れる。軽く中心に優しく触れる程度に。沖田さんの顔がすぐ目の前にあって、瞳には私が映っているのがわかるくらいに。近くで見れば見るほどきれいな顔立ち。まつ毛がすっと長くて切れ長の目がとってもきれい。じっと私の口元を見ている沖田さんに、知らず知らずに胸が早鐘して。聞かれてしまうんじゃないかと思うくらいドキドキする。知らず熱が集まってくるのをどうしたらいいのか。
沖田さんを見ないように、意識しないように、そっと目をそらせていると、ふわっと前髪が重なって。柔らかい感触がとてもくすぐったいけど、気持ちよくて。つい、目を沖田さんに戻すと…
いつの間にかじっと私の目を見ていた沖田さんとばっちり目があってしまって。
心臓が、ドキドキどころじゃない、バクバクする…こ、壊れる!これ以上は無理〜!!って思ってたら

「ん、いいよ」

あっけないほど簡単に、そっと離れて鏡を向けてくれて。なぜだか少しさみしいと思った気持に蓋をして、軽く気持ちを落ち着けながら鏡を見ると、私がつけたより中心に少し濃く赤づけられた唇が、妙に自分じゃない気がして・・・少し大人になれたような照れくさくて仕方がない。でもまだまだ子供のような顔に真っ赤な紅。背伸びしてるっていうのがよくわかる。

「あの・・・・似合いますか?」
「う〜ん、まだ少し早いかもね」
ふふと眉尻をさげて笑う沖田さんのいつもの調子に少しだけムっとする。

「どうせ、私はまだまだですから」
全く女性として見てもらえないような風に、少しだけ拗ねたくなる。

「でもわかっているならどうしてこの色選んだんですか?」
「?選んだって?」
「これ、もらったんじゃないのでしょう?沖田さんが選んでくれたんですよね?」
「どうしてそう思うの?」
「だって、すごく嬉しそうな顔してたから」
「・・・・・・僕もまだまだだね」

少しだけ反撃できて、沖田さんとこんなやりとりするのが楽しい。ふふっと笑っていると

「この色、まだ早いかなとも思ったんだけど、今はそんなに紅をさす時もないし、いずれ君が毎日のように紅を必要としたとき、その時の君に似合う色を、と思ったんだ」

首をかしげて私の顔を下から仰ぐようにみる沖田さん。いつもの冗談っぽく言いたいのだろうけど、でも、冗談じゃないっていうのが瞳で伝わる。新選組預かりとなって、今日、今この時が一番幸せかもしれない。

「・・・・・ありがとうございます。沖田さん・・・大事にします。」
こみ上げる気持に胸がいっぱいで、ギュっと胸の前で手を合わせて沖田さんの方を見る。

「父様を見つけるまでに、この紅が似合うような女性になるよう努力します」

私の言葉にう〜んと一つ息吐いたあと、
「ここにいたら、そんな努力できないんじゃない?」
「それは・・・見かけではなく、内面を磨く努力ということで」
「・・・・・はははっやっぱり君、面白いよ」

肩を揺らして本当におかしそうに笑う沖田さん。こんな顔初めて見たかも・・・
笑われても、しょうがないかなという気持ちになってくる。

はー・・・・・ようやく落ち着いて、私をチラっと見たあと、もう寝なよと言って立ち上がり、部屋を出る際、ぽつりと言われた。


「その紅は僕が選んだんだから、つける日が来たら・・・君は僕のものだよ?」






END






いかがでしたでしょうか?そっけない沖田さんを書きたくても、つい甘く・・・
この話の段階では、まだお互い「好き」という感情ありません。気になりだすきっかけ、みたいな話を書きたかったんです。
最後の沖田さんのセリフ、言った本人も千鶴も冗談だとは思ってるけど、沖田さんも千鶴もこのあと襖越しに、そうなっても困らない、むしろそうなったらな…とお互いが思い始めてくれるといい..