Having sincerely hoped
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「失礼します」
ふうっと深く息を吐いて、気持ちを落ち着けた後、ルルは学長室にゆっくりと入った。
呼ばれた件はわかっている。
アルバロが学院に戻ってもう2週間が間近。何ら進展のない彼の記憶。手には変わらず在り続ける刻印・・・・
重くなりそうな頭を軽く振って、ルルは中で待つイヴァンとヴァニアの前に立つと、真っ直ぐな瞳を二人にぶつけた。
「ルル、手の印はどう?異常なくて?」
「はい・・・」
ルルはそっと自分の手の甲を二人に向けると、
「ちゃんと見えないままです。」
ルルの手の甲をじっと見つめた後、イヴァンがうむ、と頷いて口を開いた。
「印を見えなくすることくらいしか出来ぬが…刻印の効力は全く衰えてはいない」
「はい」
「アルバロには…まだ話していませんのね?」
「・・・・・はい」
記憶を失ったアルバロに、見知らぬ人物と一生繫れた鎖があるなどと、そんなことは言えなかった。
あの時の彼を、あれ以上苦しめるような事実は言いたくなかった。
それを先生は理解してくれた。そして、印を見えなくするように魔法を上塗りするように施してくれたのだった。
けれど、時間が経過してもまだ話せていない。
・・・違う。時が経てば経つほど、話すことにためらいを持ち始めている。
ヴァニアのルルを見つめる視線は優しい。責めるようなものはない。けれどその中には、このままにしておくのは無理だと、諭すような意味合いが込められている。
…どれだけ時間を費やしても、アルバロが自身のことを思い出すことはなく。
それがわかるからこそ、ルルはつい、視線を落としてしまいそうになる。
「ルル、あの刻印を…知らずに身に刻むのは危険なこと。彼の者をあまりに長い時このまま放っておくわけにはいかない」
「・・・・・・・・・・」
「ギルドに身を宿した者が、そう簡単にその柵を抜け出すことは出来ない。今はまだ何も事は起こってはいないが・・・」
言葉を一端途切れさせ、イヴァンはルルの真意を見るようにじっと瞳を覗きこんでくる。
記憶を失ったきっかけになったあのような出来事が、また起こらないとは言えないのだ。
「あの者だけではない。お主の命にも関ることだ。早計に事を運ぶのは感心しないが…あまり悠長にはしていられぬぞ」
「はい・・・」
「ルル、アルバロの最近の様子は…どうですの?何か変わったことありまして?」
ヴァニアに問われ、ルルは暫し最近のアルバロのことを考える。
変わったこと…
「ない、です…傍にいる時には何も。いつも穏やかで・・・」
「…何か、記憶を取り戻した様子は?」
「いえ、それが何も…周りにはどんどん馴染んでいくけど、昔のことは全く・・・」
ルルの言葉に、二人は頷くとヴァニアがルルの手をとって、何やら小さく言葉を呟いた。
一瞬の温かみが手を覆い、何かに守られたように。
「一応、刻印が出現しないように…また上掛けしましたけど、これもそう長くは効きそうにありませんわ」
「はい。わかりました」
ぺこっと頭を下げて、学長室を出て行くルルを見届けて、二人は同時に溜息を吐く。
「…何とかギルドの者がアルバロに近づく前に、記憶を取り戻してくれないと…関ることになればきっと…」
ヴァニアは厳しい表情を顔に張り付けて、じっと外を見つめる。
出来れば教え子には、悲しい思いはさせたくないものだから。
「だが、それは我々には何も手出し出来ぬことだ。そうなれば、その時であろう」
「愚兄は…そうなった時の気持ちをもう少し汲んで発言する。ということが出来ないようですわね。これだから・・・」
「愚妹が何を申すか、情にほだされてはまともな判断など出来ぬわ」
二人が憂うことはまだアルバロとルルには知らぬこと。
そんなミルスクレアの守護役二人の憂いなど知らずに、ルルは取り敢えずの安堵を胸に、アルバロを探しに歩くのだった。
「ルルちゃん、こっち」
視界にそれだけで彼がいるとわかるような髪の色がさっとたなびく。
無理して作ることなく、自然に笑顔になっていく自分の単純さに、今日だけは感謝して、アルバロの許へと走って行った。
「先生の話、何だったの?」
「うん・・・課題忘れてて、また怒られちゃった」
相変わらずだね、と小さく笑うアルバロに小さく安心する。
刻印のこと、ギルドのこと、記憶を失う前のアルバロと自分の関係を、口に出してしまえばどうなるのだろう?
知り合って、まだ一月も経たない自分と、一生鎖で縛られている、とわかれば、彼は絶望するのではないだろうか。
少しでも、アルバロの心の負担を軽くしたい。
そう思ったから・・・彼が自然に記憶を取り戻せばそれが一番なのだけど。それが出来ないときには・・・
――解放――
それを頭に第一において、この二週間ほど、頑張ってきた。
調べて調べて、それでも光明は針先ほども見えず。
何も出来ないまま、時間だけが無情に過ぎていく。
「・・・・ろうって思ってさ、・・・・ちゃん、・・ルルちゃん?」
「え?なあに?ごめんねぼうっとしてて・・」
「いや、いいけど・・・」
覗きこむ表情は心配そうに自分を見つめている。
「あ、・・何て言ったの?」
「それより、君こそ何考えていたの?心ここにあらずって感じだったよ」
「そんなこと…お、怒られたから落ち込んでいたのかな」
我ながら苦しい言い訳だと思うけど。
「そう…ルルちゃんがそう言い張るなら、そういうことにしておくよ」
「うん、しておいて」
つい、口をついて出た言葉に、ははっとアルバロが笑って…それで…
先ほどヴァニア先生に魔法を施された左手、魔法で包まれて温かく感じたその手は、
今、刻印で繫ぎあっている彼の右手に包まれている。
「・・・・・・・・・・あの、アルバロ・・・その・・・」
そうなるのが自然のように、彼の手に収まったままの自分の手が恥ずかしいのに、それが嬉しくて。
素直に、嬉しくて…それで胸がいっぱいになる。
「ルルちゃん、日曜日、空いてるかな?」
「え、う、うん。空いてる…」
「じゃあ、俺と一緒に過ごそう」
えっ…そ、それって…
顔に勝手に熱が集まるのに、それを隠そうとする手は片手しかなくて、隠しきれない。
そんなルルを横目で確認するアルバロの表情をルルが見たら、もっと恥ずかしくなったことだろう。
「ちょっと、調べたいことがあって。付き合ってくれると助かるんだけど」
「うん!付き合う…ってし、調べ物?」
顔がころころ変わる。そんなルルを見てると楽しい。
自分の手に、収まったままの、拒絶しない彼女の手が、気持ちを浮上させてくれる。
「うん、調べ物。でも…終わったら二人でお茶くらいしたいね」
「・・・うん!がんばる!力になれるように頑張るね!」
キュっとその意気を示すように、ルルの握りこまれた小さな手に力が入る。
応えるように、アルバロは遠慮がちに繋いでいた手に小さな力を込めた。