Having sincerely hoped
最終話
「その女に手を出すな」
男がルルにその狂気を振りかざそうとした時、それを上回る殺気を放ちながら、咄嗟に行動を押さえたのは・・・
「アルバロ・・・」
「何だ?この女をかばうのか?」
おまえにとっても、邪魔なだけだろう?と言葉を続ける男の言葉に、アルバロは無言で頷く。
男の行動を引き止めてくれた言葉に一瞬でも心を浮かしてしまった分、ルルは空虚な思いでいっぱいになる。
「だが、その女と俺が刻印で繫っているのは事実だ。おまえの方法で絶対安全だとは言い切れない」
「・・・鎖で繫れたまま、生きることを選ぶのか?例え結果が思わしくなくても・・・自由を選ぶと思っていたがな」
その言葉に、アルバロは返しの言葉が浮かばない。
自分らしくない発言だとは思う。けれど、何故か昨夜から訳のわからない感情が自分を取り込もうとしているような気がして・・・
こんな自分を心底嫌だと思う。
「おまえにケリをつけてもらうことじゃない。この女を殺るなら・・・自分で殺る」
「・・・なるほど、それならば好きにしろ」
男は一瞬にして、まがまがしい気を押さえこむと、ルルに一瞬視線をよこした。
「おまえはどちらにしても・・・こちらの内情を知りすぎた。愛する男に殺されるならば、本望だろう?」
言葉を残して去っていく。
後には、静寂だけが残される。
アルバロのルルを見つめる瞳には、何の感情も映っていない。
愛しい、とも、憎い、とも・・・どうでもいいようなものを見るような、そんな瞳を、ルルはじっと見返す。
「・・・私が、本当にわからないのね」
「・・・・・・・・・・・」
「記憶を失って・・・それでも、あなたがまた私を見てくれて・・私は嬉しかった・・ううん、そんな言葉じゃ足りない」
「・・・・・・・・・・・」
「私が、悪いの。あの人の言う通り、私がいるから、記憶を失って・・・」
「思いあがるな」
アルバロの冷たい声が響く。
低く、抑揚のない声は更に言葉を告げる。
「俺の今の状況を、全部自分のせいだと?」
ルルを嘲るような、そんな視線を強く、色のない瞳に込める。
「そうして、悲劇のヒロインを演じてまで、今の俺にとっても特別でいたいんだろう?」
「ちがっ・・そんなつもりじゃ・・・」
ルルの叫びなどまるで無視して、そして微笑む。
それはなんて冷酷な・・・
「生憎だが、こんなのは俺にとって問題じゃない。おまえがどうしようと、どうなろうと、今後俺には一切関係ない」
「・・・関係あるっ!!」
一瞥した後、そのままその場を去ろうとしたアルバロの背中にルルは思わず手を伸ばす。
どうして、こんなに違うのだろう?同じ人なのに、まるで触るなとばかりに張り巡らされたとげとげしい空気。
構うことなく掴めば、その手を振り払われた。
「・・・私のことを忘れたなら、この刻印のことも忘れたの?」
「・・・・・・・・・・」
「私には、あなたの行動を制限する力もある。これからは・・・変な仕事はさせないんだから」
「・・・・・・・・・・・」
振りかえったアルバロはようやくルルに焦点を合わせた視線を寄せる。感情がこもった瞳。
自分を憎むような、そんな眼差し。
「そんなに、俺に殺されて・・・特別でいたいというのなら・・・」
「期待にお応えしようか・・・」
死ぬことに、何の恐怖も覚えていない。ただ、殺戮を楽しもうとするような…
・・・最終試験の時にも、こんな表情を見た。
あの時も、私を殺すことなんて何とも思ってなかった。
今も、変わらない。変わらないね・・・アルバロ・・・
ルルは涙を浮かべながら、杖を構える。
あの時と同じように、魔法で彼を押さえるなど、そんなことは全く考えていない。
適う筈がなかった。けれど・・殺されてはならない。
こんな時でも願ってしまう。
彼を…死なせたくない。
アルバロが自分を守った時のことを思い出す。
防戦に長けた魔法を…僅かな隙を作って…狙われたところに。・・出来るだろうか?
いや、出来なければならない。
杖を構えたルルに、アルバロは目を細める。
大人しく、あっさり殺られる気はないらしい。
俺を殺す気でいるのか?こんな力のない女が?
自分の力を過小評価された気がして、短刀を持つ手に力が入ると同時に、ルルの自分を見上げるその表情が目に入る。
何かが頭の中をちらついて、チカチカと線香花火のように浮かびそうになる。
煩わしく、自分の脳内を干渉しようとする何かに、アルバロが苛めきたっているのとは反対に、ルルの表情はどんどん落ち着いて、覚悟を決めたものに変わる。
おどおどした表情は瞬く間に消えて、凛として自分を見据えるルルに、こんな時なのに、目に留めてしまう。
この少女のどこに、こんな面があったのか・・・なのに初めてではない。
その表情に、込み上げる何かのままに、思わず口をついて出た言葉。
「・・・ルル・・・」
――え?
・・・まだ名前は言ってない。あの人に聞いた?
ううん、そんなことはどうでもいい。今の、今の声色は・・・
あの優しい呼び方は、昨日、聞いた――
自分に向けて、魔法を詠唱しようとして、体をぼんやり光らせた少女の動きが止まって、アルバロをぱっと見上げた。
わからない、どこから出て来た言葉なのかわからない。この女がルル、というのかもわからない。
この反応では・・・そうなのだろうが・・・
「・・・アルバロ?・・・」
僅かに上ずった声に、はっと意識を取り戻して、短刀を握りなおした。
この女は消すべき存在。このまま繋がれるくらいなら・・・そうだ、それが俺の考えだ――
それは、一瞬だった。
短刀はすっとルルの体に突き刺さり、今まで何度も経験したそんな感覚が腕を通じて、脳に伝わる。
なのに、刺された少女は…ルルは、短刀が食い込むのを承知で自分に飛び込んできた。
我身を守るでもなく、対峙した相手に攻撃を与えるでもなく、何故か…自分に抱きついている。
「・・・・・何を・・・」
放せ、と言いたいのに・・・言葉が出ない。
「・・・失くした訳、じゃ・・ないのね・・・ごめんなさい・・・」
・・・この女は、こんな時に何を言っている?
「・・・ずっと、ちゃんと、私は・・・あなたの中にいるんでしょう?」
居る筈がない。何を言い出す、戯言を・・・そうまでして縋りつきたいのか。
そう思う感情とは裏腹に、自分の背を掴む手の力が抜けていくのに・・・頭の血の気がさーっと下りていく。
勝手に冷たい汗が滲み出て滴り落ちる。そんな自分の変化に訳がわからず、ルルを自分から引き離そうとした途端に・・・
「・・・アルバロ?好きだよ・・大好き・・」
馬鹿か、こいつは。――そう思うのに、引き離そうとした腕は、ルルを抱きしめた。
抱きしめて、ふと気まぐれに自分の指にはめた指輪が何かを訴えるように目に入る。
昨夜、寝る前に見つけた…ポケットに入っていた、二つの指輪。
買った覚えなどないのに、何か気になって身に付けた。
ガーネットを綺麗に装飾しているその指輪を見て、知らず口ずさんだ。
『変わらぬ愛情』
どうしてそんな言葉が出たのか、わからない。
馬鹿馬鹿しい、そう思ったのに、身に付けた。
今だって、おまえなんか、知らない。そう思うのに、離せない。何かを求めるように・・声が出る。
「・・・・・・ルル・・・」
もう一度呟いた言葉に、ノイズのようにいろんな場面が再生される。
多すぎて、頭の中がどうにかなりそうで・・・
目がチカチカして、目の前が赤くなる。
フラッシュバックは限りなく続いて…次々に浮かび上がるのは今、抱きしめている、ルルのことばかり。
こんなにいろんなことを共にしていた、ルルを忘れていた…ということが頭に沁みてくる。
――自分にとってどれだけ大切なことを忘れていたのか、それが思い知らされる程に・・・
『アルバロが私を好きになるの』
『私を、好きになって』
ルルからの口付けに、少なからず動揺した自分。
たらしこまれるつもりなんてなかった。自分がそうして、いいようにする筈だった。
だけど、気がついた。
いつの間にか、好きになって・・ルルは心の中にいついていた。
あんなことにならなければ、気がつこうともしなかっただろう。
だけど、もう、気づいてしまった。
抱き締めるものの、大切さに。
あの日、自覚した。不覚にもわかってしまった。
守ったはずだった体は、自分の手によって今、その場に崩れ落ちそうになっている。
自分を見つめた瞳は・・・瞼で覆われて見ることができない。
「・・・・・・・ルル、ルル・・・・目を、開けろ」
ルルは目を開けない。
「どうして、おまえが・・・これでは逆だ。こんなつもりで・・・おまえを守ったんじゃない・・・」
体を離して、自分が差した短刀を震えながらゆっくり抜く。
血が止まらないのを見て、舌打ちする。抜くべきではなかった…
心の焦りが普段の判断力を衰えさせる。
急いで止血するように応急処置をして・・・その間にも血はどんどん滲んでいく。
ぴくりとも反応のない体に、ピンクの瞳が揺らぐ。
「おまえを守ったつもりだったのに・・・これは何だ・・・・ルル!」
彼らしくない叫びが響き渡る。
ルルの血の気のない顔に、一滴の雫が落ちて頬を伝った。
「失礼しました」
深々とお辞儀をして、笑顔で学長室を後にするルルとは対照的に、アルバロは無言。
「アルバロ、まだ機嫌悪いの?」
「・・・あの古代種二人にしてやられた感が抜けないんだよ」
はあっと溜息をつくアルバロに、ルルはくすくすおかしそうに笑った。
あのような事態を予期してか、ルルには魔法が掛けられていたらしい。
危なくなれば、強制的に死に限りなく近い眠りの状態にして、すべての魔力作用を体の治癒にあて、治癒力を高める。
刻印の上掛け時に、その魔法もかけてくれていたらしく…
心配そうにしながら施術してくれたヴァニア先生にルルは感謝してもしきれない。
そのおかげで、事なきを得たのだが、アルバロにしたら掌の上で踊らされたようで気に入らないらしい。
「世の中にはまだまだすごい魔法があるのね!もっと勉強しなくちゃ!」
「いや、ルルちゃん。そういう風にツッコむところじゃないでしょう?」
死に限りなく近い眠り、ルルが目を開けた時に飛び込んできたのは…目を赤くしたアルバロだった。
見つめあえた、その瞬間のアルバロの表情が…涙が頬に伝った跡が…
「ルル・・・」
名前を呼んで、自分に顔を埋めてくれた…
何も話さなくても十分だった。
――思い出してくれたのだとわかった。
「でも、先生たちがああしてくれなかったら・・・」
「そんなことはわかっているんだよ」
二人は、何事もなかったかのように、当たり前のように傍にいる。
一緒に歩いてる。
でもただ一つ違うのは、彼らの気持ちがしっかりと通じ合っていることだろうか。
「あ、そうだルルちゃん忘れてた。はい、これ」
学長室を離れ、二人でのんびり中庭を歩いていると、アルバロが急にルルの手をとった。
微笑みながらガーネットの指輪をルルにはめる。
「これ…アルバロとペアリング・・・?・・ありがとう・・・」
「どういたしまして」
「…///あっこれを買ったのって記憶を失くす前?」
指輪を一人で見に行っていた、と店員に聞いた時のことを思い出した。
まだ買っていなかったと思っていたけれど・・?
そんなルルの問いに、にっと笑いながら、アルバロは首を横に振った。
ルルの驚く顔がようやくみられる――
「…忘れもの、はこれだった…って言ったらわかるかな」
「――え?」
ルルの瞳が戸惑いに揺れる。
…忘れもの?
「あれ、ひどいな…忘れたちゃった?忘れものして…ルルちゃんは待たずにうろうろして…」
「・・・・・・・・・それ、は・・・」
「その後、見つけた後に…俺に、好きだと言ってくれたのに、ね」
「あ・・・・」
ルルの瞳があっという間に潤んでいく。
驚いた表情が見たい、と思ったのに・・・相変わらず情緒豊かで忙しいやつ。
素の自分も心なしか目を緩めてしまう。
「俺は…覚えてる、全部、覚えてる」
「・・・・・」
「おまえにはかなわない。俺を…惚れさせて、記憶を失った後にも・・・惚れさせて」
「こんな女には、もう二度と出会えないだろうな」
ルルの瞳からぽろぽろと、止めどなく涙が伝い落ちて、唇が震えてる。
でも、見つめられるのが好きだ、と思うようになった瞳はじっと自分だけを映している。
「何があっても、俺から離れるな、・・ああ、こう言った方がいいか?」
記憶を失った自分が、心のままに正直に伝えた言葉を、もう一度…
「…君が好きだから、これからも傍にいたい。俺だってルルちゃんの支えにならせてよ…だろ?ルル」
「っ!!・・・・アルバロ…うんっ・・・ずっと傍にいて・・・私も――好き…」
泣き崩れた表情はそれでも幸せそうに、
腕を伸ばして自分にしがみついてくる。
俺らしくない・・ルルといると・・乱されてばかりだ。
そう思いながら自分の胸で泣くルルを、そっと抱き締めた後、まだ泣きやまないルルの涙を掬うように口付けて。
震える唇に、自分を満たすこの感情を注ぐような口付けを落とした。
――望んだものは、ここにある
END