Having sincerely hoped




16






深夜、調合の準備をしてから、昼間受け取った薬を飲み干した。
ズキっとした痛みが頭の血管を張り巡らしたような感覚の後、曇りがかった頭がすーっと晴れ渡っていく。

目の前に転がる小瓶を手に取り、顔の前で揺らしてみる。
中にはもう何も入っていない。

「・・・こんなものに頼らないと作れないとはな・・・」

目をすっと細めて一瞥した後、何もなかったように先ほどまで全くわからなかった調合を施していった。
何の躊躇もなく、手順を考えるまでもなく、自然に手が動いていく。
出来上がった薬品を満足そうに眺めると、一つ小さな欠伸をした。

渡すだけではつまらない。
任務遂行を見届けようと、そんなことを考えながら眠りにつこうとする。
着替えようとした時に、服に小さな違和感を覚えた。

違和感の元であるところを手で探る。
そこにあった未包装のまま紛れ込んでいたものに、アルバロは覚えがない。
記憶は戻ったはずだ。これは・・・・?




遅いな・・・
アルバロを待ちながら、ルルは微かに頬を染めた。
昨日のことが頭をかすめる。

好きだと、はっきり伝えたことを今更ながらに思いだして、つい熱が集まる。
離れた後に、恥ずかしさは増すばかりだった。
それに・・・

『ルル』

そう呼んでくれたアルバロ。
とても優しい響きで、自分の名前が一層好きになる。そんな声色。
一人まだ来ないアルバロを待ちながら、つい顔が緩むのは仕方ないことだと思う。

その時、不意にアクアマリンの髪が視界に入る。
――あっ!!
ルルは迷わずアルバロの方へ駆け寄っていった。

「アルバロ、おはよう!」
「・・おはよう。朝から元気があるね」

いきなり話しかけられて驚いたのか、一瞬口を閉ざした後、いつもと変わらぬ笑顔で・・・

「うん。元気が取り柄だもの。今日は遅かったのね」
「・・・今日は?そうだね、俺は気分屋だから違うのかもしれないね」

・・・何か変。
変わらぬ笑顔に見つけてしまったのは・・・温度のない瞳。
気のせいだ、と自分を勇気づけて、ルルはアルバロの袖を掴んだ。

「・・早く、行こう?間に合わなくなるし・・」
「・・ごめんね、君みたいな可愛い子に誘われたら、いつもは行くんだけど・・・今日は大事な用があるんだ」

やんわりと、袖を掴んだルルの手を離して、その手を優しく下ろした。
相変わらずの、張り付けた笑顔でにこっと微笑む。

「また誘ってくれると嬉しいんだけど・・・えーと・・・じゃあまたね」

また誘う?いつも、いつも・・・最近はどちらが誘わなくても・・・一緒にいるのが普通になっていたのよ?
ねえ、私の名前をまだ一度も呼んでくれないけど・・・どうして?

気にすることなく、振り返ることもなく、そのまま学院とは別の方向に。
街に出るのか足を早めるアルバロの後を、ルルは追いかけていった。
拙い尾行はすぐに感づかれるだろう。それでもいい。
泣きそうな気持ちを押し殺しながら、アルバロの背だけを見ながら・・・


・・・あの女は何だ?
うろちょろ鬱陶しい・・・まくのは簡単だが・・・
何か見えない力が、そうさせるのを防ぐように行動を制限されているようだ。

この刻印に関係あるのか?記憶は戻ったはずなのに・・・
この刻印とあの女のことだけがわからない。
それはつまり・・・

一つの結論に、アルバロは知らずポーカーフェイスを崩して顔を歪める。
そんなことがあってたまるか、と思う。
後ろに少女の気配を感じながら、ここまで付いて来る方が悪い。邪魔ならどうにかすればいい、と
少女のことを考えるのが癪なのか、敢えていないように振る舞うことにした。

合図を送る。同業者だけがわかる印。
送ってすぐ後に、待ち人がゆっくり現れた。

「・・・さすがに仕事が早いな。記憶を失くしていた気分はどうだ?」
「どう、ということはない」
「戻ったものの代わりに、何を失ったかはわかったのか?」

愉悦に歪む男の表情に、アルバロは無表情で答えた。

「そんなものはない」
「まあ、おまえにはないだろうな。・・・では俺は行く。報酬は後で・・・」
「いや、俺も行く。楽しそうなことは大歓迎だ」

狂気じみた瞳を細めるアルバロを一瞥した後、男は視線を逸らした。

「あれは・・・どうする?ついて来る気だぞ?」

やはり少女の気配は駄々漏れで、この男は最初から気づいていたようだ。

「おまえには刻印がある。何かあった場合、足枷になる」
「この刻印は…あの女と繫っているのか?」

その言葉に、男は意外そうな表情を浮かべた後、これ以上ないくらいにおかしそうに笑った。

「これは・・・いい。あの女のことがわからないのか、おまえにとって大事なことがあの女だったとは!」
「・・・刻印のことも忘れていた。大事なのは刻印のことの方だ」

余計なことを言ってしまった、と苛立ちを込めた目で睨みつけるアルバロに、男はようやく笑いを押さえた。

「そういうことにしておこうか・・・どちらにしても女もついてきている。これ以上はいい」
「…俺が邪魔だと?」
「そうだ」

男はそのまま任務遂行のためにその場を離れる。
これ以上、ここにいる必要はない、とでも言うように。
アルバロは深く溜息をつきながら、きっと少女が自分の許にくるだろう、と思って動かずに待っていた。
これ以上、纏わりつかれるのは迷惑だ。そう思って、そう言おうと・・・

けれど、少女の気配はその場から消えていた。
周辺の気配を探っても、どこにもいそうにない。
アルバロはちっと面倒臭そうに舌打ちをして、視線を右手に移した。




「待って!待ちなさい!」

男は思いもかけず前に立ちふさがる少女、ルルに、ほう、と感嘆の息を漏らした。

「・・何故、俺についてきた?」
「・・あなた、昨日カフェにいたでしょう?アルバロのすぐ傍から去るのを見てたの」
「・・・・・・・」
「彼は、帰り道どことなく様子がおかしかった。何を言ったの?何を・・したの?」

暗殺を今からしようとする男を前にしても、この少女は怯まない。
ぼうっとした抜けた少女。こんなもののどこに惹かれたのか、腑に落ちなかったが・・・
どうやら、そんな表面の内側に、鋭い一面を持っているらしい。

・・・なるほど
男は少しだけ話すことに時間を割くのもいい、そう思えた。
強気な少女の表情を、・・・絶望に歪めるのも悪くない。

「俺は親切にも、記憶を取り戻す手立てをしただけだ」
「・・・・記憶を?そんなこと・・・出来ないんじゃ・・・」
「それはそうだ。だがリスクを追えば、不可能も可能になることなど、世の中には多いだろう?・・おまえの、その刻印のように」

男はいつになく饒舌だった。
こういう少女の心を折ることは、一種の快楽だ。

「リスク・・・?」
「おまえも、もうわかっているだろう?・・・あいつはおまえのことを忘れている」
「・・・・・・・・・・・」

暗く、低い声が胸の底に沈むように、残酷な事実を告げる。
・・アルバロの昨日の言葉が・・・次から次に湧いてきて・・・

「アルバロは・・・知っていたの?そのリスクのこと、知っていたの?ちゃんと、話したの?」
「知らないだろうな。今のあいつはわかっていることだが」

何てことないというように言い放つと、男は仕上げとばかりに顔を歪めた。
暗い世界に生きる者の、冷たく見下ろした、残忍な冷気を繞う瞳に、思わず足が震えそうになる。

「いいことを教えてやろう。あいつは暗殺を渋った。薬を躊躇していた」
「・・・・・・・・」
「しなければ、おまえをどうにかする、と言った。・・・あいつは・・・快く引き受けてくれたよ」
「・・・それはおかしいわ、私を殺すつもりだったなら・・・彼だってそうなる。そうなれば困るのはあなたでしょう?」

きっと自分を見上げる瞳。
まだこんな言い返す気力があるのか、と男はそれが楽しくて仕方ない。
積み上げた積み木を一気に崩すまでもう少し・・・

「そうだな、そういう点を説明しないでもあいつは引き受けた。おまえにはわからないだろうが・・・」
「・・・・・・・?」
「殺さなくても・・・生きたままで死んだように眠らせる方法など、いくらでもある。殺さなくても・・自由にはなれる」
「・・・・・・・・」

ルルの表情が歪む。

「おまえのために記憶を失くした。おまえのために、また記憶を失くした」
「おまえが原因だ」
「おまえの存在が、奴を一層闇に陥れているんだ」

ルルの瞳に絶望が灯る。
影をさした瞳を満足そうに眺めながら、男は武器を取り出した。

「これで満足か?自分の罪を悔いて、深い闇で眠れ」