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「失礼します」

返事を待たずに戸を急いで開ける少女に、総司と斎藤は顔を合わせる。
・・・千鶴が、うまく事を起こしたのだ、と。

「千鶴様は…おいでではないのですか?」
「・・・ここにはいない。何かあったのか?」
「・・・あなた方が逃がしたというなら、それでもいいと思いますけど」

この言い方、まるで…

「ここから、逃げた方が嬉しいの?」
「・・・もうご存じなのでしょう?旦那様も急いでおられましたし」
「・・・・・何のことだ」

本当に事態をよくわかっていないかのように、新しい情報を求める二人に、少女は一瞬迷った後、戸を締めた。

「今夜、千鶴さまは身請けされる予定でした」
「!?何言ってるの?冗談じゃなくて?」
「・・・・・気は確かか?新選組が守ると決めた女を」
「本当に、知らない?・・・知っていて逃がした訳じゃ・・・」

困惑する少女に、総司はどういうことだ、と、激しく詰め寄ろうとする。
それを制しなければいけない、と思うも、斎藤の中にもなんだか胸を締めつけるような気持ちが渦巻いていく。

「千鶴ちゃんへのあの文は君!?最初から知って!」
「はい・・・何も知らずにお気の毒に思ったので・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

頭の中がぐるぐるして気持ち悪い。
どうして、今までこんなことはなかったのに。しっかりせねば、話を聞かねばと思うのに…頭が働かない。

「二人組の男が…千鶴様を連れていかれました。てっきり、お二人の策だと・・・」
「っ!!くっ…どんな二人」
「遠目にしか、でもすごく強くて、控えていたものをみんな手刀で…」

手刀?その時斎藤の頭には天霧という男の姿が浮かぶ。
この大胆な行動、敏腕な行動。きっと…間違いではない。

「斎藤君!?どこへ!」
「総司は屯所へ連絡を、皆を呼んで来てくれ」

見えなくなっていく斎藤の背中を見つめ、総司は何で僕がまた連絡を、とぶつぶつ言いながらも飛び出していく。
向かうのは屯所。自分たちの考える二人組ならば、事態は最悪だ。
こうして二人は千鶴を助けるために、各々行動を別にした。



「離してください!こんな!」
「黙れ」
「わ、私は、今はあそこに身を置く芸者です!足抜けなんかしたら…」
「してもしなくても一緒だ」
「そんなことないです!新選組にだって迷惑が…」

新選組の名を出したことで風間の足が止まる。
千鶴を抱え込む手はそのまま、なんなくついてくる天霧に「追手は?」と問いている。
首を横に振る天霧を見た後、風間はゆっくりと頷き、何の感情もないような緋色の目を千鶴に翳してきた。

「あのまま、あの場にいても、おまえは身請けされただけだ」
「・・・・・・え?」

貴重な女鬼を人間などに渡す気はない、と言葉を続ける風間の声は遠い。
自分を鬼と言って、連れまわす男の言うことなど、信じない。信じるのは…

「確かに、怪しいところはたくさんあったけれど、でも身請けなんて…」
そんなこと、仮に身を置く自分になされる筈がないと思う千鶴に、その自信を揺らがすように風間は冷たく微笑む。

「今夜、おまえは…ある部屋にて身請けされる予定だった。それは決められていたことだ」
「・・・・で、でもそんなこと角屋は・・・新選組だって…」
「会津藩の家老直々の密書命令だ。雪村千鶴を指定した家に身請けさせろと」
「・・・・・・・・・・」

どうして、そんなことを知っているのだろう。
そんなことあるわけがない、と思うのに。それでも、その口調に徐々にそんな気持ちも押さえこまれていく。

「会津の命令だ。新選組は逆らえない。いや、知っていて・・・おまえが逃げないように見張りを・・・」
「違う!違います!そんなこと…」

千鶴の泣き震える声を、打ち消すように静かな声が響く。

「事実です。私が調べた結果です。あなたをあそこに置いておくわけにはいかない。」

淡々とした口調に、同情の声も響く。
こんなの嘘、嘘、と思うのに。信じていた心が一瞬折れそうになった、その時、耳に届いたのは普段あまり聞いたことのない彼の叫び声。

「千鶴!」

息を切らして、少し汗ばんだ額をそのままに、駆けつけた斎藤の表情は、千鶴を確認すると一瞬安堵したものになる。が、すぐに目で殺せるのではないか、と思われる殺気を込めて、風間と天霧に視線を向ける。

「その娘はうちの者だ。返してもらう」
「ほう、だがこの娘はそうは思っていないと思うが」
「あんたの言い分を聞くつもりはない」

斎藤は腰の刀に手をかけてぐっと握り締めるとそのまま、静かにその間を徐々に詰めていく。
じりじりとその気迫に、周囲の空気に押されるのに耐えかねた千鶴が、一瞬身じろぎ、風間の注意が刹那逸れた。その時を見計らって、斎藤の刀は一気に弧を描く。
キンッ!かろうじて受け流した刀はさらに追撃の手を緩めずに。その気迫に風間は徐々に押されていく。

風間はくっと声を漏らし、ちらっと天霧を見ると千鶴を天霧の方へ渡そうとした。
その時、斎藤はそれを待っていたかのように脇差を天霧に向かって投げ、注意をそらし、、そのまま風間にも刀を向けながら、なんとか伸ばした右腕は千鶴の手に触れた。
確かに掴んだ千鶴の手をそのままぐっと躊躇なく引き寄せて、そのまま背中に隠した。

「・・・・・・・・貴様」
「・・・風間、落ち着きなさい。・・・あなたは彼女を連れ戻して、どうなるのかわかっていて連れ戻すのですか」
「・・・わかっている」

その斎藤の言葉に、背中にしがみついていた千鶴の手がびくっと震えた。
・・・わかってた?知っていたの?

『千鶴の信頼を裏切るようなことは絶対にしない』

その言葉が胸の内をむなしく通り過ぎていく。
悲しいとか、悔しいとかそういうのではない。けれど、暗く何か溢れる感情が千鶴を苦しめる。
それは自然に涙となって、自分を楽にしていくように。
とめどない涙を流しながら、千鶴の手は斎藤の背中から離れていく。

けれど斎藤はそのまま、風間に視線を向けたまま、射抜くような視線を湛えて言葉を続けた。

「俺は、すべきことをするまでだ」
「ならば、おまえはこの娘を・・・」

苛立ちを露わにこちらに手を伸ばす風間にびくともしないで、斎藤は視線を逸らさない。

「千鶴を守る」
「守ろうとするもののためなら」

ぐっと刀を握りこむ指先は白んでいく。

「この手を血で濡らすことも厭わない」

そのまま、構えに入る斎藤の横顔は一切揺るがない。

その時千鶴の目から温かい一滴の涙がそっと頬を伝わった。





12に続く