私が好きなのは…沖田先輩だから。
何とかイベントの力を借りて、普段なら伝えられそうにない気持ちを伝えたい。
そう思うのに、間近にいる先輩にドキドキしすぎて…いつも以上に固まってしまう。
ぎしっと肩を強張らせて、繋ぐ手は微かに震えているようで。
そんな千鶴に気付いた総司は何故か嬉しそう。
会話途中に千鶴を攫われて、蚊帳の外にされて後ろからその光景を見ていた平助はふと、疑問を抱いた。
「なあ、千鶴~総司にはチョコ渡さないのか?」
・・・・・・・へ、平助君!
タイミングを完全に外しているし、今は完全に緊張が上回りすぎてうまく渡す自信がない。
でもここで渡さないと変に思われるだろうか?
千鶴はおずおずと総司を見上げると…
「平助にはもうチョコレートあげたの?」
「あ、はい…あの、先輩にも…」
ううっ声が震えてる!こんなんじゃ…うまく言えない…
「今は遅れそうだし、後でいいよ。急ごうか」
千鶴の気持ちを察しているように、少し力を込めて震える手を押さえこまれる。
そのまま学校の方へ引っ張られるように。
走って、息を切らせて、必死で間近にある背中を見つめていれば、たまに振りかえる笑顔と目が合って余計にドキドキする…
「…今日も遅刻か」
「沖田、千鶴の手を離せよ」
校門に辿り着けば、いつもの二人のお出迎え。
しっかり繫れた手に薫は不機嫌で、千鶴はその視線の怖さに思わず手を離してしまった。
心なしか斎藤の元気もない。
「す、すみません…遅れました」
「千鶴、今日はおまえのせいでもあるけど、普段はもっと早く来れるだろう?」
俺の顔に泥を塗るなよ、と捨て台詞残して去っていく薫に、千鶴は、はい…と落ち込みつつ視線を落とす。
そんな千鶴に斎藤が声をかけた。
「千鶴、平助と総司を放っておけないのはおまえの優しさだ。落ち込むことはない」
「斎藤先輩…ありがとうございます…あっ!そうだ!あの…」
ごそごそ、と手提げの中から平助と同じチョコレートを取り出すと、斎藤にはい、と差し出して…
「あの、チョコレートです。いつも優しくして頂いてありがとうございます」
「あ、ああ…ありがとう」
「いえ…」
微笑み合う二人の様子をじっと覗っていた平助は内心ほっとしていた。
千鶴が斎藤に渡したチョコは、自分のものと全く同じだったから。でも…
ちらっと視線を斜め前に流す。
同じように二人の様子を見ていた総司がふいっと校内に向かっていってしまった。
「千鶴、総司には渡さなくてよかったのか?あるんだろ?」
「え?…あ…う、うん。あの、もう時間もないし、お昼休みにでも…」
総司の名前を出されただけで、心臓がパニックになる。
うう、昼休みまでにはちゃんと渡せるように…
千鶴は頑張る!と意気込んでいたのだけど…
瞬く間に昼休み。
緊張しているイベントが先にあると思う程…時間が早く感じられる。
出来れば…ゆっくり渡したい。
好きです、と言いたい。
それなら…最後に…
そう考えて、千鶴は取り敢えず普段よくしてもらっている面々に配ることにした。
そうして義理チョコを配り終えて、皆に喜んでもらって、ここからが本番の筈、だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何故か、手提げに残っているのは…義理チョコ。
そんな筈ない。手渡す時に、間違えていれば気付かない筈がないのに…
千鶴は慌てて家に電話をかけた。
今日は父が昼間、学会から一時帰宅すると言っていた。
だからチョコレートを一つ、置いてきたのだけど・・・・もしかしたら・・・・・
『はい、千鶴か?』
「あ、父様!あのね・・・チョコレート・・もう食べた?」
『ああ、食べさせてもらったよ、ありがとう千鶴』
「う、うん・・・ところで、どんなチョコだった・・・?」
『?どんなって…トリュフだろう。とても美味しかったよ』
「そ、そう・・・・わかった・・・」
『?千鶴』
あまりのショックに会話途中で電話を切ってしまった・・・
うう、ごめんなさい父様・・・それにしても・・・こんなこと間違えるなんて・・・
義理チョコは…チョコのマフィン。甘さ控えめでみんなが食べられるように。
沖田先輩のだけはトリュフだった。
頑張って、作ったのに…なのに…
自分の馬鹿さ加減に泣きそうになりながら、千鶴は一つ残ったチョコレートを見つめる。
義理チョコ。総司はこれと同じチョコを斎藤に渡すのを見ていた。
これを渡しながら気持ちを伝えるなんて…とてもじゃないけど無理だと思った。
「・・・・・・放課後、作り直す?」
一人呟いて、うん、そうしよう。と気力がわいてきた。
グジグジしないで、渡す為の努力をしよう。
千鶴は総司の教室に向かうのを諦めて、自分の教室へと戻ったのであった。
「・・・・・・・・・おっかしいな~・・・」
放課後、一人教室に残ってぼうっとしているのは千鶴の想い人、総司である。
昼休み、千鶴が皆にチョコを渡しているのを遠目に見かけた。
普段なら気が気じゃない光景なのだけど、今日は何だか違った。
義理チョコなら…きっと朝、渡されていたと思う。
朝の千鶴の緊張した様子、斎藤に渡している様子を見て、期待はさらに膨らんだ。
きっと…今日は最後に渡される。
それは皆が欲している一つだけの特別な…
そう思っていたのだけど、放課後、待てども待てども千鶴は来なくて。
「探し回って・・擦れ違いになるのは嫌だし・・・」
う~ん、と悩んでいると、そこにあれ?総司まだいたのか?と声がかかる。
「平助、何、残ってたの」
「おう!…っていっても居残りだけどな…あ~腹減った。千鶴がくれたマフィンももう食べちゃったしな~」
「・・・・・・・・・・・・」
「毎年、器用に作るよな!そういや千鶴…急いで帰ってたみたいだけど何かあったのかな」
その言葉に総司がピクっと反応した。
「帰った?もう?」
「ああさっき。でも逆方向・・駅の方に向かったみたいだけど」
「ふうん・・・・じゃあ僕も帰ろう」
「?じゃあな~」
・・・・・・・くれないってことはないよねえ?
・・・・・・・忘れられてる・・なんてことはもっとないよねえ?
不安なんてなかったのに、いつの間にか不安が期待を打ち負かしているのを自覚して、思わず首を横に振る。
校門を出て…どちらに向かうか一瞬考えた後、総司は駅方向に歩みを進めたのだった。
「・・・・・・チョコの材料は売り切れ、めぼしいチョコはすべて買われてるし・・・」
昼休みの決意はどこへやら、VD当日の夕方は、こんなにも売り場がガラガラになっているとは思ってもみなく。
とぼとぼと歩くのさえ億劫になる。
義理だけど、渡さないよりはマシなのだろうか。
ぼうっと一つ残ったチョコを手に取って、ふらっと立ち寄った公園のベンチに座る。
・・・・・・駄目だ、このチョコだと…言える自信ない。第一そんなの・・・
「沖田先輩に、失礼だよ・・・「何が?」
ぽとっと落とした涙と共に漏れた言葉を、大好きな声が掬いあげる。
「・・・・先輩」
「うん?・・駄目だよ千鶴ちゃん、もう暗いのにこんなところ一人で・・・何してたの?」
普段と変わりない声、口調、だけど、探してくれてたのが上下する肩でわかる。
手に持つチョコも、もう目に留められている。
「・・・・・・・いえ、何でも・・・・・・・あの、これ、遅くなって・・・・・・」
「・・・ありがとう」
沖田先輩の声のトーンが下がった気がする。
・・・うん、駄目だよね、もっと笑顔で渡さないと・・・
「いつも、気にかけてくださってありがとうございます!食べてくれると嬉しいです」
「・・・あ~あ、無理して笑わなくても」
「・・・無理してなんて、いませんよ?・・・ほ、本当に暗くなってきましたね!帰ります!」
「ち~づ~る~ちゃん」
無理して笑顔を作っていた顔を、くいっとあげられて、沈みかけた夕陽にさらされれば、泣きたい気持ちが隠せなくなってくる。
「いっぱい聞きたいことあるんだけど」
「それは、聞かないでください」
「何が、失礼なの?これ、みんなと同じなのに・・・どうしてそれが失礼になるのかな」
そんなの、言えない。言えません。
ちゃんと…特別なのを渡して言いたいから・・・
「じゃあ、もう一つ。何で泣いてたの?」
そんなの、もっと言えません。先輩は優しいから。
言ったら気にかけてしまうから。
「ふうん…黙るの…ずるい、千鶴ちゃんって本当にずるいよね」
声は呆れたような、そんな声。だけど、顔は微笑んでる。どうして・・?
「今日はバレンタインで、普通なら女の子から・・・だよね。なのに・・・僕に言わそうとしてるの?」
・・・・・・言わす?何を?
千鶴のさっきまで泣きそうな顔が、途端にきょとんと呆けた顔になる。
首を傾げる仕草が、可愛いくてたまらない。
「何で、いつも気にかけているかわかる?」
「・・・・・・・それは・・・・」
「ドジだから、放っておけないから、頼りないから」
「うう・・・すみませ「っていうのもあるけど・・・・」
総司は千鶴をそのまま抱きしめると、
「僕は、どうでもいい子には、どんなにドジでも、頼りなくても・・・手は貸さない」
自分の高鳴る鼓動がばれても構わない、とばかりにぎゅっと抱きしめる力を強くする。
「君が好きだから。…ねえ、わかってる?」
腕の中の千鶴が小さく震えて、総司の体をきゅっと掴み返した。
漏らした声は、涙まじりで・・・途切れ途切れになる千鶴の小さな声を、全部聞けるように耳を寄せて。
「・・・・・・・本当は、本当は・・・先輩には違うチョコを用意してて・・・」
「渡す時に気持ちを言おうって・・・でも、また私が馬鹿なことして・・・駄目になっちゃって・・・」
「だから・・・もう、言えないって思ってて・・・・ううっ・・・」
泣きながら、しがみついてくる千鶴を、愛しいと思う。
こんな言葉を貰えたなら、どんなものでも僕には特別になるのに・・・
それでも結構頑固な彼女は納得しないのだろう。それなら・・・・
「ねえ、千鶴ちゃん、チョコ・・・それマフィンだよね」
「?はい…」
「それ、食べさせて」
少し離れて、あ~んと口を開いて待っていれば、慌てて包みを開けてマフィンを一欠片、総司に・・・・
その手をきゅっと掴み、総司は千鶴の持っていたマフィンを、千鶴の唇に押し当てた。
千鶴が??と目をパチパチするのに、にっこりと笑みだけ返すと・・・
千鶴が口付けたところを、ぱくっと食べる。
あっ!と声が漏れるけど、気にしない。
「これで、特別。僕しか食べられないチョコになった」
「・・・・・・・沖田先輩・・・・・・・・・」
「特別なチョコには、特別な気持ちを・・・・込めてあるよね?・・・聞きたいんだけど」
「え、・・・・・で、でもっ!」
突然言われて、一瞬口を噤んだ千鶴は、それでも総司の切望するような瞳に促されて、伝えたかった気持ちを言葉にする。
千鶴の口から、小さいけれど、確かに伝えられた、ずっと聞きたかった言葉。
紡がれた言葉は、優しい瞳と共に、お互いの唇をも引き付けて。
重なった唇から吐息と共に送られた言葉。
「僕と、付き合ってください――」
震えた千鶴の唇が、小さく『はい』と象って。
夕闇の中、二人の影も気持ちも一つになる―――
END